栄えある第1位はこれだ。
「19マイルの悲劇」から2年後、再びマレーシアを訪れた私は、未だ19マイルの呪縛から逃れられず、タイ国境に近いランカウイ島からはるばるキャメロン・ハイランドへと大転戦を敢行した。
午後3時にはランカウイ島での採集を終え、預けてあった荷物を受け取りにホテルへ寄り、その足で港へ向かい、船で対岸の港町クアラ・ペリレスへ渡る。ここからタクシーでアロースターのバスターミナルへ行き、シンガポール行きの夜行バスに乗り込んだ時はすでに10時ごろだった。見ず知らずの異国の地で大きな荷物を持ち、それも暗くなってからこれだけ移動するとさすがに疲れる。リクライニングシートに身をうずめると、すっかり安心して寝入ってしまった。
目的地タパーまではおよそ500kmの行程。明け方くらいに着くはずだ。途中、ドライブインで休憩したときはまだ4時。辺りは真っ暗だった。次に目覚めた時は6時前で、すでに空が白んでいた。
「そろそろタパーに着くころだ」
そう思いながらウトウトしていると、ジャングルの真ん中に高層ビルが1つポツンと建っている。何でこんな所にあんな物が…。寝ぼけ眼(まなこ)で眺めていると、道路沿いのジャングルがみるみる開けてくる。道幅が広がって交通量も一気に増えてきた。どうも様子が変だと思って雅恵を起こそうとするが、呑気なものでものでちっとも起きやしない。と思う間もなく、眼前に忽然と摩天楼の建ち並ぶ高層ビル街が現れ、道路は高架となり、あれよあれよという間にビルの谷間へと吸い込まれていく。
ジャングルの中の高層ビルに驚いてから僅か20分ほどで、新宿副都心のような大都会のど真ん中にバスは停車した。
「ここはどこなの?」
不安げに雅恵が聞く。
「分からん」
未だ私は、自分の身に何が起きたのか理解していなかった。乗客はみんな荷物を手に降りていってしまう。
“Where is here?(ここはどこ?)”
たまらず近くの男に訪ねた。
“PUDRAYA”
プ・ド・ラ・ヤ…??? 予期せぬ答えにいっそう戸惑う。しかし、どこかで聞いたような…そうか! ここはクアラルンプールのプドラヤ・バスターミナルの前なんだ。ということは、早く降りないとシンガポールまで行ってしまう。
慌てて降りて、そしてバスが行ってしまうと、私は路上に立ち尽くして途方に暮れるほかなかった。約200kmの乗り過ごし。思わず落ち込む。
「ごめんな」
とんでもないことになって、さぞかし雅恵は怒っているだろう、でなければ不安に思っているだろう、そう思って声をかけると、意外にも雅恵は明るく笑って言った。
「バスターミナルの前ならちょうどいいじゃない。早くタパーまで戻りましょう」
そう、この明るさに、いつも私は救われるのだ。
「タパーまでの運賃で、クアラまで来たんでしょう。ラッキーじゃない」
そう、この無邪気さには、少し疲れるのだ。そうだ、雅恵はいつもと全然同じだった。
こうして私はすっかり気を取り直し、何事もなかったようにタパー行きのバスを探すのだった。
(完)
(1996年7月3日「みやくに通信」№65より)