2023年採集日記(上)


 ギフチョウは何年やってもシーズンの開幕が難しい。春になっていきなり最初に行く山で、バッチリ季節を当てて羽化したての新鮮なギフをホイホイ採りたい。そんな、少々身勝手で虫が良すぎる目論見を実現するため、積算気温を用いたギフチョウの発生予想というのをかねてからやっていた。あちこちから収集したギフチョウの採集記録をデータベース化し、これに気象庁のサイトから抽出した気温データを用いてExcelで積算気温を紐づける。試行錯誤を重ねて自分なりの最適解を見つけ出し、積雪のない場所に限れば発生予測はほぼ完璧!と自画自賛していた。

 ところが、確立したはずの方法が最近うまく機能しなくなった。想定を超える温暖化が原因で、そこで見直しのためにExcelをあれこれいじっている時に、事件は起きた。

 3月上旬、作業中に予告なくPCがクラッシュした。データは外付けHDDに格納してあるので、その時は事の重大性に気づかなかった。新しいPCが届き、続きの作業をしようとしてギフのデータベースがないことに気づいた。そういえば、その時に限ってデータファイルをデスクトップに仮置きしたかも…。頭の中が真っ白になった。

 祈るような気持ちで壊れたPCを修理屋へ持ち込んだが、データ修復は相当な金がかかるうえにやっても修復できない場合が多いと言われて断念した。覆水盆に返らずとはこのこと。長年積み重ねてきたノウハウと、それを実行するためのツールとデータを一瞬にして失った。


■ 4月1日(土) 広島県のギフ(1)

 茫然自失、やる気喪失のまま4月に突入。異常高温で各地でギフが早々と発生しているという情報は入ってきていたが、3月最後の土日が雨だったこともあって3月中はどこへも行くことなくこの日を迎えた。

 この日は仲間内の採集会が広島県の三次市周辺で開かれるとのことで楽しみにしていた。1泊2日で広島まで車で往復するのが最近しんどくなってきたので、今回は行きは夜行バス、帰りは新幹線で、現地では仲間の車に便乗させてもらうという裏技を使った。

 初日のこの日は、昨年岡山のギフでお世話になったM氏の車に便乗させていただいた。M氏はこの地方の出身で地元中の地元とのことなので心強い限りである。

新葉を伸ばすカンアオイ。
新葉を伸ばすカンアオイ。

 日程が決まった当初はフライングの心配をしていたが、それが直前になってまさかの時期遅の心配をする事態となっていた。

 「三寒四温」は死語なのか。

 春先は「猫の目天気」じゃなかったのか。

 そう叫びたくなるほどの連日の晴天・高温続き。特に3月28日から4月4日までは西日本を中心に各地で8日間ぶっ続けで晴天・高温となって気温がグングン上がった。その始まりの3月28日、29日時点で当地ではすでに景気の良い記録が出ていたので、この日(4月1日)は早くも発生後半で、下手すると終盤に突入しようかというタイミング。

 現地に着くと、木々の芽吹きはやや浅いものの桜は各所で満開。そしてカンアオイはすでに新葉をかなり伸ばしていた。それでも何とか鮮度の良いギフが採れたのは、発生数がそこそこ多いのと採集圧のせいもあるかもしれない。各所に採集者が多く、有名ポイントには何人もが張り付いていた。その有名ポイントを横目に、M氏にとっておきのポイントをご案内いただいた。昨年に引き続き本当にありがとうございました。

[記録]2023年4月1日(土) 同行者 M氏、H君

広島県庄原市口和町 ギフ null

広島県三次市君田町 ギフ 3♂1♀

 


■ 4月2日(日) 広島県のギフ(2)

絵に描いたようなヒルトッっプポイント。
絵に描いたようなヒルトップポイント。

 2日目のこの日も三次市周辺でやる予定だったが、発生のピークを過ぎているようだし、採集者が多いし、どっち転んでも大したことは起きそうにないように思えた。そこで、帰りの利便も考慮して行き先を備後に変更。同行のH君が御調町の私の知らないポイントを教えてもらったようなので、せっかくなので行ってみることにする。この日は今回知り合った地元岡山県のT氏にご案内いただく。

 現地に着くと、絵に描いたようなヒルトップポイントがあって今にもギフがホイホイ上がってきそうだが、上がってきたのは採集者だけで肝心のギフは全然来ない。昨日の場所よりさらに季節が進んでいる印象で、尾根やピークで待つには遅かったようだ。

ポイントのピーク付近から望む瀬戸内の海。
ポイントのピーク付近から望む瀬戸内の海。

 この後、既知のポイント2か所を覗いてはみたものの、どちらも尾根やピークなので当然のこと時期的に遅かった。かろうじて傷んだ個体を確認できたのはむしろ幸運だったかもしれない。

 自分も行っておいてなんだけど、完全に時期遅のポイントに採集者が大勢来ていたのには驚いた。

 帰り際、ポイントのピークの近くから、はるか向こうに瀬戸内の海が見えた。今まで何度も来ているが、海が見えることに全く気付いていなかった。

[記録]2023年4月2日(日) 同行者 T氏、H君

広島県尾道市御調町 ギフ null

広島県福山市芦田町 ギフ null

 


■ 4月9日(日) 岐阜県中津川市のギフ

 今春は、昨年知り合った大学生のH君を案内して名古屋周辺ギフチョウ巡りをするつもりでいた。4年間なんてあっという間に過ぎるので、計画的に回らないと名古屋で下宿している間に全部回り切れない。そんなことを思ったりしていた。

 それが前述のようにシーズン開幕直前のPCのトラブルで大きくつまづき、広島の採集会に参加している間に記録的な晴天高温が続いて、低地のギフはあっという間に終わってしまったようだ。

 広島の採集会の際に、3月31日に長野県の立場沢でヒメギフが採れたとか、同じく北海道の旭川でも採れたとかいうトンデモ情報が飛び込んできた。この分ならきっと来週は飛騨でもギフが出るとか、そのうち2月に桜が咲いて「桜にウグイス」とか、本気とも冗談ともつかぬ話が仲間内で飛び交っていた。

少し飛び古したギフチョウ ♂
少し飛び古したギフチョウ ♂

 来週は飛騨でも出るって?

 そうは言われても、どうしても4月上旬に飛騨へ行く気になれない。それは飛騨まで行ってフライングを犯すのが嫌とかではなく、現実に4月上旬に飛騨でギフが採れてしまったら、せっかく採れても素直に喜べないということだったかもしれない。

 ともあれこの週末の飛騨はひどい戻り寒波の予報となったので行かない理由ができ、他に行くあてもないので東農の中津川へ来てしまった。

 この日の中津川は好天ながら寒波の影響で気温は低め、北風が冷たく感じた。季節はピーク過ぎのはずが、低温のせいか♀は見なかった。

[記録]2023年4月9日(日) 同行者 H君

岐阜県中津川市 ギフ null(H君 3♂採集)

 


■ 4月13日(木) 岐阜県郡上市白鳥町のギフ(1)

秘密の小ピーク。
秘密の小ピーク。

 この日は何年も前からしつこく通っている白鳥町の秘密の小ピークへやって来た。秘密の小ピークと言っても、実はこれまで雅恵が1♂採集しただけで私は見てもいない。でも、結果が出なかったのはたまたまタイミングが合わなかっただけか、それとも少し場所が違うだけで近くにきっとポイントがあると信じて通っている。

 この日はしばらく尾根筋で粘ったが上がって来そうにないので、意を決して登ってきたのとは反対側の斜面を下りることにする。反対側へ下りると、帰るときにまた登らなければならないので少し気が重い。しかも両側とも急斜面で一部に藪漕ぎもある。登ってきた側にカンアオイは見当たらないが、きっと反対側にはあると予想していた。

岩や木の幹に付いた苔は干乾びている。
岩や木の幹に付いた苔は干乾びている。

 地形図で目星を付けた反対側の谷まで降りてみると・・なるほど。沢の源頭に近くて水は伏流しており、すり鉢状の地形で明るい林に針葉樹が混じり、環境的には100点満点。と言いたいところだが、そうではなかった。予想に反して大小の岩や石がゴロゴロして荒れた感じがする。石や木の幹にびっしり苔が付着しているが、どれもみんな干乾びている。かつては大きな岩に苔がむすほど湿潤な環境だったが、その後乾燥化が進んだようだ。きっとかつては沢に豊富な水が流れていたが、それが涸れたのだろう。

 こりゃダメだな。諦めてもと来た斜面を登りかけたとき、あった! あった! あった! 

 カンアオイの小さな新葉が2つ3つ足元の地面から顔を出しているのを見つけた。これまでの苦労が報われた瞬間。夢中で周囲を探す。

 が、しかし、なぜかその一株しか見つからない。それにしてもなぜこんなに小さいんだ。季節的にはもう少し新葉が伸びて大きくなっていると思っていた。でもひと株あるのだから絶対にもっとあるはずと、さらに探そうとしたその時、見てはならないものが目に入った。そう、お決まりの・・悪魔の遣いの落とし物、鹿の糞。

 つかの間の幸せとはこのことか。天国をチラッと見せといて、次の瞬間地獄へ突き落とされた。

ヒメカンアオイの小さな新葉。
ヒメカンアオイの小さな新葉。
鹿の糞。
鹿の糞。

 ちなみに、当地の乾燥化の原因について私見を書き留めておく。

 かつて白鳥町付近は雪深いことで知られていた。町のすぐ西側に横たわる分水嶺を越えて、日本海側から雪雲が流れ込みやすい地形なのだ。今ではループ橋を渡って中部縦貫道ですぐに越えられる油坂峠の向こうは福井県の豪雪地帯という位置関係である。

 油坂峠の手前には、戦前の開設という岐阜県内最古のスキー場がかつてそこにあった。この油坂スキー場はモロ南向きの斜面にあって、90年代には深刻な雪不足に悩まされるようになり、2000年を過ぎて間もなく閉鎖された。なんでそんな南向きの斜面にスキー場を造ったのかと言えば、きっと造った当時は南向きなんて全然問題にならないほど雪が多かったということだろう。

 冬場の積雪が大幅に減少して乾燥化がじわじわと進行した。冬場の積雪が減れば鹿にとっては好都合で、かくして最後のとどめを刺すかのごとく鹿による食害が広がりつつある。

 この日は、42歳の若さでこの世を去った知り合いの蝶屋の通夜が予定されていた。やりきれない気持ちを紛らそうと、休暇を取って採集に来ていた。nullだと余計に気分がふさぎそうなので、午後から既知のポイントへ転戦し、何とか少しだけ採集して気分を晴らした。

[記録]2023年4月13日(木) 同行者 なし

岐阜県郡上市白鳥町(1) ギフ null

岐阜県郡上市白鳥町(2) ギフ 3♂


■ 4月16日(日) 岐阜県郡上市白鳥町のギフ(2)

 3日前に失意にさらされた白鳥町へ、気を取り直して再びやって来た。今度はH君を連れて別のポイントへ入る。天気予報は悪くなかったはずだが、着いた時には晴れていたのに間もなく雨が降り出した。すぐに止むだろうと高をくくっていたが次第に本降りとなってしまった。

立派な鹿の角。
立派な鹿の角。

 雨の止み間にあちこちカンアオイを探して歩いたが成果なく、昼前には3日前に3♂採集したポイントへ来ていた。

 ここで、またしても見たくないものを見てしまった。雑木林の林床に転がっていた、これは…。このポイントでこれまで鹿を見た覚えはない。しかし、この立派な角の様子からはずいぶん前からのさばっているような印象を受ける。それにしても写真の撮り方がまずかった。これじゃあ大きさがまるで分らない。

ヒメカンアオイは新葉が完全に開いていた。
ヒメカンアオイは新葉が完全に開いていた。

 このあともう1か所の既知ポイントへ移動した頃に、ようやく天気が回復してきた。周囲の景色といい、カンアオイの新葉の伸び具合といい、完全に時期遅のタイミングと思われたが、予想に反してそこそこ鮮度の良いギフが出迎えてくれた。

[記録]2023年4月16日(日) 同行者 H君

岐阜県白鳥町(3) ギフ null

岐阜県白鳥町(2) ギフ null

岐阜県白鳥町(4) ギフ 4♂(H君 2♂1♀)