2022年採集日記(中)


■ 5月3日(火祝) 北信地方のギフ(パート1)

 前回北信へ行ったのは2019年5月3日から6日まで。その時はフライング気味だった。今回はそのリベンジのつもりだが、それなら同じ5月3日からで時期は大丈夫なのか? 昨冬の豪雪と春先からの異常高温。発生時期を占うにあたって、この極端なマイナスとプラスをどう評価すればよいのか? この4月は降水量が多かったので、意外に雪解けが進んだのではないか?

―― 2019年と今年の気象データを見比べながらあれこれ悩んだすえ、結局は行ってみなければ分からない!という永遠の真実にたどり着いて、とにかく行ってみることにする。

残雪の雪原に咲く桜。
残雪の雪原に咲く桜。

 最初の目的地へ向かう手前の斑尾高原で、眼前に広がる光景に思わず車を停めた。予想をはるかに超える一面の残雪の中、真冬のような雪原にマメザクラが満開の花を咲かせていた。

 桜って、こんなに残雪があっても咲くんだ。初めて知った。でも、ギフチョウはこんなに残雪があったら絶対に飛ばないぞ。

 この日は林道が止まっていてもマウンテンバイクで奥へ詰める覚悟で来ていたが、奥へ詰めるならマウンテンバイクじゃなくて長靴だろう。ていうか、これじゃ奥へ詰めても意味ないし…。 

ポイント付近は残雪多し!
ポイント付近は残雪多し!

 仕方なく当初の予定を大幅に変更して、今回リストアップしていた場所の中で一番標高の低いポイントへやって来た。途中の道端で1♂をゲットしていたので気分的には余裕だったが、目的の場所に着くと、ここでもまだかなり残雪が多い。3日以上早いだろうか。困った。明日から行く場所がない。

[記録]2022年5月3日(火祝) 同行者 なし

新潟県妙高市斑尾高原 ギフ null

長野県下水内郡栄村 ギフ 1♂ 

長野県下高井郡野沢温泉村 ギフ null 

 


■ 5月4日(水祝) 北信地方のギフ(パート2)

津南町の発生地は雪の中。
津南町の発生地は雪の中。

 困ったあげく、最悪の選択をした。前回2019年の時に見つけた新潟県側の津南町のポイントなら、標高はわりと低いし日当たりも良いのですでに出ているのではないか。そう考えてやって来たところ、ご覧のありさま。太鼓判のフライングである。要は長野県側より新潟県側のほうが雪が多いのだ。目と鼻の先のようでも、その歴然たる違いを身をもって知った。

 いよいよ行くところがなくなって、予定になかった新潟・長野県境付近の低標高地を少しうろついたあと、野々海林道へとやって来た。当地は下から上までかなりの標高差があるので、どこかが適期のはずだ。そして斜面全体が南向きのため、標高のわりに発生が早いことを期待した。

野々海林道入口。
野々海林道入口。

 ところがどうだ。平滝の集落を過ぎてほどなく、これだよ。噂には聞いていたが本当だった。

 今回、当地に限らず北信の各地の林道が(と言うか、私が訪れた限りのすべての林道が)入口で通行止めになっていた。これは残雪のためとか工事のためとかではなく、要は山菜採りなどのよそ者を締め出すための方策と思われた。ちなみに、より残雪の多かった新潟県側の津南町では通行止めの林道はなかった(事実上残雪で通れない林道はむしろ多かった)。

 いよいよピンチ! 万策尽きたか? 頭の片隅では飛騨に転戦する案もよぎったが、そうするとこの2日間が無駄になる。ここで発想を変えて、標高を下げるのではなく緯度を下げることにする。新潟県側が目立って残雪が多いのなら、長野県側の、それも県境の栄村でなくもっと南の木島平村のほうが雪が少ないのではないのか。

林道清水平線入口。
林道清水平線入口。

 そこで向かった先は、木島平村の糠塚を起点とする林道清水平線。伝説の名著「ギフチョウ88か所」で「雑魚川林道」の名で紹介された場所である。

 ちなみに雑魚川林道は秋山郷の切明を起点とする別の林道の名前で、どうしてこのような錯誤が起きたのかと不思議に思っていたが、今回ひとつ思い当たったことがある。つまり、林道の名前が変わった可能性である。というのも、以前当地を訪れた時には林道の名前は「糠塚カヤノ平線」だった。それがいつの間にか「清水平線」に変わっていたのだ。もしかすると「88か所」が出版された当時は、糖塚から切明までの全線を「雑魚川林道」と称していたのかもしれない。ともあれ推測の域を出ず、カヤノ平に通じる林道だけに真相は「カヤの中」といったところか。

 さて、当地はかつては採集者でにぎわったようだが、最近はとんと情報がない。理由は写真のとおり入口のゲートが閉まるようになったためで、かなり奥が深いので歩いては到底ポイントにたどり着けないらしい。

ぶっ飛び!電動アシスト付マウンテンバイク。
ぶっ飛び!電動アシスト付マウンテンバイク。

 そこで、ぶっ飛び!電動アシスト付きマウンテンバイクの出番だ。入口のゲート付近で標高638mで、雪のかけらもない。この日は時間的に遅かったが、翌日の下見のために標高1000m付近まで行ってみた。途中、杉林の林床に残雪があったのを除けば、標高1000mでさえ雪はまったく残っていなかった。斜面全体が南向きのうえ、もともと津南町や栄村ほど雪深くないということだろう。この日の朝の津南町のポイントが標高500m余りで一面の雪景色だったのが、今となってはウソのようだ。

 ここなら季節は問題ない。絶対ギフは出ている。ようやく明日の行先が見つかった。

[記録]2022年5月4日(水祝) 同行者 なし

新潟県中魚沼郡津南町各所 ギフ null

長野県下水内郡栄村各所 ギフ null

長野県下高井郡木島平村林道清水平線 ギフ null

 


■ 5月5日(木祝) 北信地方のギフ(パート3)

 朝から絶好の天気。日中は気温が上がりそうだ。長い林道のどこかにギフがホイホイ上がってくる尾根があるに違いない。そう信じて嬉々としてペダルを漕ぐ。途中、早々に林道上に現れた1♂をゲットし、いやがおうでも期待が高まる。

標高1040mの尾根。雰囲気は良いが…。
標高1040mの尾根。雰囲気は良いが…。

 ところがである。その後の林道沿いで、ギフの姿をまったく見ない。最初に期待していた標高1040m地点の尾根も、行きも帰りもチェックしたが雰囲気は良いのにギフの姿はなかった。

 そのうえ重大な問題が発生した。電アシのバッテリーが心もとなくなってきたのだ。前日の下見で浪費しすぎたようだ。バッテリーは車の運転中にシガーライターの口から充電していたが、宿泊地との移動距離が短くて十分に充電できていなかった。

 バッテリー残量が3分の1ほどになると急にペダルが重くなった。これまでバッテリーをこんなに消耗したことがなく、こういう仕組みとは知らずにいた。辛抱たまらずアシスト力を「弱」から「中」に切り替えると、今度はバッテリー残量がみるみる減っていく。

 結局、標高1200m付近でバッテリーをほぼ使い切ってリタイア。電アシはバッテリーが切れるとバカ重たくて、ギアを軽くしても普通の自転車のようには漕げない。やむなく乗り捨てて歩き始めたが、すぐに思い直した。さすがにここまで来ると春がまだ浅く、この付近が発生地ならフライングに違いない。大きな斜面なので、下から上がって来るならある程度散らばるはずだ。しかし、しばらく全然見てもいない。ということは、1♂採れたとはいうものの他に下から上がってくるポイントがあるとしたらきっともっと先だろう。

 仕方なくゆっくり戻ることにする。途中それらしい場所をチェックしながら下ってきたが、何の手がかりもないまま、行きに1♂を得た場所まで戻ってしまった。

 ここで腰を下ろして昼飯を食べていると…、来たっ! しかし、例によって緑内障の影響で突然目の前で視界から消えて、まさかの振り逃がし。少ない場所で振り逃がすと相当手痛いが、でもこの場所で採れたのが偶然でないことが分かったので、しばらくここで粘ることにする(て言うか、他に行くあてもないので…)。

 待つこと30分。やっと来た。下の方から斜面を上がって来るギフにいち早く気付いて “全集中” で待つ。ところが、途中からなかなか上がって来ないので業を煮やして迎えに行ったところ、またしても直前で消えた…。しかし、今度は慌てて振らなかった(振れなかった)のが幸いした。ふと見ると、私を通り越したギフが上の方でうろついている。夢中で斜面を駆け上がり、今度は何とかネット。

 この経験でようやく少し吹っ切れた。直前で視界から消えても慌てて振らずにスルーして、もう一度仕切り直せば良い。こうして春先から私を苦しめていた緑内障による「振り逃がし症候群」を克服するきっかけをつかみ、翌日の成果へとつながるのだった。

[記録]2022年5月5日(木祝) 同行者 なし

長野県下高井郡木島平村林道清水平線 ギフ 2♂

 


■ 5月6日(金) 北信地方のギフ(パート4)

交尾中のギフチョウ。
交尾中のギフチョウ。

 この日は、3日前の5月3日に残雪が多くてnullだった野沢温泉村と栄村のポイントを再訪した。残雪でnullを食らった場合、何日後に出直せば良いかを予想することは実は意外に難しい。かつて野沢温泉スキー場のポイントで一面の残雪にたじろいで、「どうやらこれは1週間以上早かったかな」と思いつつも5日後に行ってみたらすでにボロだった、という驚きの経験がある。これは下で発生した個体が上がってくる場合に起こる現象で、5日前にはすでに下で発生していたが、残雪に阻まれて上がって来られなかったと考えられる。

 この日も残雪が微妙に多くて最初の1頭を見るまでは心配したが、ギフは当たり前のように現れて、それどころか交尾個体を皮切りに♀もいくつか出てきた。3日前には影も形もなかったのがウソのようだった。

枯れ枝に静止するギフチョウ♂(ピンクテール)
枯れ枝に静止するギフチョウ♂(ピンクテール)

 最後、帰りがけに少し気になる場所を見つけて覗いてみると、午後の日差しを浴びて1頭のギフが枝先でくつろいでいた。もう十分満足していたのでゆっくり写真撮影をしていたが、ふと気になってネットしてみると…、やっぱりそうだった。本来は真っ赤なはずの後翅の赤紋が、発色が悪くてピンク色っぽく見える個体が時々いるが、そのタイプだった。

 これを「ピンクテール」と私は勝手に呼んでいる。イエローテールのような希少性はないが、綺麗なのと、ちょっとエッチで可愛いネーミングが気に入っている(←自画自賛)。

[記録]2022年5月6日(金) 同行者 なし

長野県下高井郡野沢温泉村 ギフ 9♂3♀(内2♂ボロ、リリース)

長野県下水内郡栄村 ギフ 11♂

 


■ 5月7日(土) 北信地方のギフ(パート5)

 今回の北信行きの直前に、ひょんなことから山ノ内町の情報が舞い込んできた。以前から山ノ内町でギフが採れていることは承知していたが、詳しい場所は不明だったのが詳しく知ることができた。

 実は似たようなことが1か月前にもあった。4月の広島行きの直前に、岡山県の産地の情報が飛び込んできたのだ。あの時も自分から求めたわけでなく、たまたま偶然出発の前日に情報が転がり込んできた。その時点ではまだ時期が早いと思っていたが、好天続きでぐんぐん気温が上がり、最終日にちょうど発生が間に合った。

 今回も情報を聞いた時点ではまだ早いと思っていた。それが連日の好天で気温がぐんぐん上がり、どうやら最終日にはちょうど出始めのような気がする。なんだかデジャブを見ているようでゾクゾクしてきた。

 とはいえ情報によれば個体数は多くなく、しかも確実に採れる特等席は1人で満員で、一方採集者は多いらしい。しかし普通に考えれば発生にはまだ微妙に早いので、情報通で常識的な皆さんなら気の早い人が8日から入るとして、7日はまだほとんど入っていないだろうと自分に都合よく予想することにした。

生息地付近の環境。
生息地付近の環境。

 そしてこの日行ってみると…見事に予想が的中した。本当に誰も来ていないのだ。1人で特等席を独占し、そしてギフはその場所にピンポイントでやってきた。こんなに上手くいって良いのだろうか。上手く事が運びすぎて怖いぐらいだ。

 と、そのとき不意に、すぐ下の谷のほうから、ガガガッ、ガッ、ガッ、ガッ、ガタン、ガタン、ゴトン!!と、不気味な重低音が鳴り響いた。その瞬間、身の毛もよだつような恐怖が私の全身を走った。何だあの音は? 落石か? いや違う。あれはきっとシカかカモシカが、何かに驚いて沢筋の岩場を走って逃げた蹄(ひづめ)の音だ。そう、決してクマが走った音ではない。では何に驚いたのか? もしかすると私の姿に気付いて驚いたのか? きっとそうだ。そうに違いない。決してクマの姿に驚いたのではない。そう思うことにした。でも急に怖くなってきたので、好事魔多しというから早めに引き揚げることにした。

 今回はY氏に貴重な情報を教えていただき大変良い思いをした。心から感謝申し上げる。

[記録]2022年5月7日(土) 同行者 なし

長野県下高井郡山ノ内町 ギフ 4♂ (内1♂スレ)

 


■ 5月29日(日) 飛騨市深洞湿原のギフ

 今シーズンのギフの締めくくりは、ここだ。

 当地へは過去に2回来たことがあって、そこそこ成果をあげている。それならなぜ3回目かと言うと、実は目的があった。1回目は入口のゲートから片道1時間余りを歩いて登り、2回目は電アシで登った。今回は雅恵の電動バイクを借りて登るつもりである。雅恵はもうすぐ21歳になる愛猫の世話で家を空けられない。それなら雅恵の電動バイクで試しに登ってみて、調子が良ければこれからあちこちで活用しよう!という魂胆であった。初めての場所よりも行ったことのある場所のほうが、どれだけ時間が短縮できてどれだけラクか比較できると考えた。

 ところがである。電動バイクを車に積んだまでは良かったが、あろうことか充電しておいたバッテリーを積むのを忘れた。前日に飛騨まで来てミヤマカラスアゲハを採っている時に気付いたが、後の祭り。これって、もしかして認知症の始まりでしょうか。行き先を変更しようかとも思ったが、他に行くあてもないので仕方なく歩くことにする。

 さて、登り始めてたったの5分で腰に違和感を覚えた。というか、はっきりと痛みを感じた。思えばこの2年、コロナ禍で遠出していない=山に登っていない。そのうえ昨年は初めての本の出版で半年ほども書斎にこもりっぱなしだった。昨年の夏には一時的な甲状腺の病気で激ヤセし、たった5日で7キロ体重を減らしたりした。

 そんなこんなで、自分の想像以上に運動不足で体力が落ちていたようだ。その後も歩くにつれ太ももやふくらはぎに痛みが出たり、果ては手の指先にしびれを感じたりと様々な変調をきたしたが、そのたびに歩く姿勢を変えたり、歩幅を変えたり、ペースを変えたり、腕を大きく振ったり、水分を補給したり、塩分やブドウ糖を補給したり。あれこれ試しながら歩いていくうちに、いつの間にか筋肉がほぐれ、関節がほぐれ、途中で一度も休憩することなく1時間15分で湿地の入口に着いたころにはすっかり元気になっていた。久しぶりに良い運動になったようだ。天気は絶好、心配した時期もまずまずで、採集者は私を含めて総勢7人はちょっと多すぎだが、それでも何とか満足できて楽しい1日となった。

湿原の木道。ここで寝ようってか?
湿原の木道。ここで寝ようってか?

 さて、そろそろ帰ろうかというころに、湿地の中から大柄で少しお年を召した採集者が現れた。挨拶して会話を交わしていると、すこぶる元気な方で大阪の著名な標本商、M沼氏ご本人と知った。そしてなんと、今夜は現地で野宿されるのだとか。ツエルトを持参されている様子はなく、聞けば木道上で寝袋で寝るつもりらしい。雨が降ったらどうするのだろう。後で知ったが、前夜も木道で寝ておられた由。野宿2連泊ともなれば、寝袋だけでなく食料や水、コンロやコッヘルなど装備もかなり必要なはずだが、そのわりに軽装のようにお見受けした。

 私も20歳のころに夏の信州の高原で独りで野宿した経験がある。若い好奇心からやったことだが、夜は思いのほか寒くて孤独で朝までが長く、ちっとも楽しくなんかなかった。ましてこの時期の深洞は明け方の最低気温は下手すれば氷点下だろう。しかもクマの巣窟のような場所で、臆病者の私などはクマの活動が活発な早朝に入山するのを避けているほどだ。それに、前述のようにそもそも歩いても片道1時間15分ほどだ。片道3~4時間ならいざ知らず、なんで現地で泊る必要があるのか理解に苦しむ。クマと宴会でもするつもりか? 冗談はさておき、事故のないことを祈るばかりである。

[記録]2022年5月29日(日) 同行者 なし

岐阜県飛騨市神岡町深洞湿原 ギフ 10♂5♀(内2♂ボロ、リリース)