2022年採集日記(下)


■ 4月30日(土) 三重県津市美杉町のウラキンシジミ幼虫

 ウラキンシジミの終齢幼虫は、食樹の葉柄を嚙み切って葉もろともパラシュートのように落ちてくることで知られる。なぜそんなことをするかというと、ゼフィルスの終齢幼虫にとって開いてしまった植樹の若葉の上にいると鳥などの天敵に見つかりやすいため、多くは日中は太枝や幹の樹皮の割れ目などに潜んで夜間に摂食する。しかし、それでは摂食のための往復の移動距離がとてつもなく長くなる。そこでウラキンは葉っぱごと地面に落下して、葉の下側に潜んでその葉を食べることで鳥から身の安全を守り、かつ毎日の長距離移動を解消したと考えられる。いわば「食住近接」といったところ。なんて賢いんだウラキンは。

 しかし、この習性は採集者にとっては笑えるほど都合が良い。地面に落ちている終齢幼虫を労せずして拾い、葉っぱごとタッパーに入れておけば勝手に葉を食べて蛹になるという。そこでこのたび、ウラキンの「落ち葉拾い」に挑戦しようという訳だ。この場合、最大の問題は「いつ行くか」である。「いつ行くか。今でしょ!」なんて言ってる場合じゃなくて、早すぎるとまだ落ちていないし、遅すぎると葉から離れて蛹化してしまっている。タイミングが重要なのだ。

中央がトネリコ。
中央がトネリコ。

 そこで慎重に時期を見定めて、といきたいところだが、こちらにもいろいろ都合がある。5月の連休が時期的に良さそうだが、そのころには北信へ遠征する予定だ。連休明けだと遅い気がして、少し早いかもしれないがこの日の決行となった。

 はたして、現地に着くなり後悔していた。ご覧のとおりトネリコは緑が浅く、若葉が開く前の状態だった。これでは太鼓判のフライングである。

 この写真からも、トネリコが他の樹種と比べて際立って芽吹きが遅いことが見て取れる。今春はかなりの高温傾向なので季節が進んでいると決めつけていたが、調べてみるとトネリコの芽吹きは2月の気温に大きく左右されるらしい。そういえば今年は2月は寒く、3月になって急に気温が上がった。このあと現地でよく観察してみると、トネリコに限らずコナラやアベマキも葉の伸長が遅れていることが分かった。ということは、今年のゼフィルスの発生は意外と遅めか? 思えば4月9日の島根で、木々の芽吹きの様子からはギフはフライングを心配したが、それどころか♀がホイホイ採れて驚いた。そういえば周辺はコナラ(ミズナラだったかも)が多かった。あの時の季節の違和感の謎が、いま解けた気がする。

[記録]2022年4月30日(土) 同行者 なし

三重県津市美杉町 ウラキンシジミ幼虫 null、ミヤマカラスアゲハ 1♂

三重県名張市中知山 ミヤマカラスアゲハ 1ex.目撃

 


■ 5月15日(日) 愛知県のミヤマカラスアゲハ(パート1)

 5月の連休は予定どおり北信のギフへ行ったため、ウラキンの採幼には行きそびれた。でも、もしかしたらこの日でもまだ間に合うのでは?とギリギリまで迷ったが、最後は名二環に加えて東名阪も上下線とも集中工事が行われていて、行きも帰りも渋滞が予想されると知って心が折れた。そこで、コロナ禍をきっかけに2年前から通っている愛知県内のミヤマカラスアゲハ探索へ行くことにする。

道路わきの斜面に咲くウツギ。
道路わきの斜面に咲くウツギ。

 近場なので朝ゆっくり起きると思いがけずどんより曇っていた。幼虫採集のつもりだったので、天気予報のチェックが甘かったか? でも今さらどうしようもないので、矢作川沿いの県道を周辺の季節感を確認しながら車を走らせる。奥矢作湖のダムサイトまで来ると、植栽のサツキの花が完全に終わっていた。思ったより季節が進んでいるようだ。

 そのせいかどうかは不明だが、小田木川の道沿いには昨年は点々と咲いていたヤマツツジが今年は全く咲いていない。代わりにウツギは各所で満開だった。日照がないのでアゲハ類が飛ぶとは思えず、アオバセセリなら来ているかもと思ってウツギをチェックしていたその時だった。―― カラスアゲハが来ていた。これまでウツギで黒色系アゲハが吸蜜するのをあまり見た覚えがないので意外に思いながら写真を撮っていると、そこへオナガアゲハがやって来た。それも2頭、3頭とやって来て、もつれ飛んでいる。そこへ今度は何と、お目当てのミヤマカラスアゲハが来た! 気付けば周囲はだいぶ明るくなっていた。

 このあと薄日が差し始めるとさらに蝶の数が増し、再び曇ってしまうまでの1時間ほどで、普通種ばかりとはいえ12種類もの蝶がウツギにやって来た。このうち、ミヤマセセリを除く11種で吸蜜行動を観察、撮影できた。ウツギって、こんなに色んな蝶が来るんだ。正直知らなかった。

ミヤマカラスアゲハ
ミヤマカラスアゲハ
ミヤマカラスアゲハ。
ミヤマカラスアゲハ。はっきり、くっきり半月紋!

カラスアゲハ ♂
カラスアゲハ ♂
カラスアゲハ ♂
カラスアゲハ ♂

クロアゲハ
クロアゲハ
オナガアゲハ
オナガアゲハ

ウスバシロチョウ ♂
ウスバシロチョウ ♂
スジグロシロチョウ ♂
スジグロシロチョウ ♂

アオバセセリ
アオバセセリ
アオバセセリ
アオバセセリ

コチャバネセセリ
コチャバネセセリ
コチャバネセセリ
コチャバネセセリ

ダイミョウセセリ
ダイミョウセセリ
ダイミョウセセリ
ダイミョウセセリ

ミヤマセセリ ♀
ミヤマセセリ ♀
サカハチチョウ 春型
サカハチチョウ 春型

コミスジ
コミスジ
コミスジ
コミスジ

[記録]2022年5月15日(日) 同行者 なし

愛知県豊田市稲武町(旧稲武町)小田木町 ミヤマカラスアゲハ、カラスアゲハ、クロアゲハ、オナガアゲハ、ウスバシロチョウ、スジグロシロチョウ、アオバセセリ、コチャバネセセリ、ダイミョウセセリ、ミヤマセセリ、サカハチチョウ、コミスジ、以上12種撮影。

 


■ 5月22日(日) 愛知県のミヤマカラスアゲハ(パート2)

湿地に咲くクリンソウの花。
湿地に咲くクリンソウの花。

 先週に続いて2度目の愛知県のミヤマカラスアゲハ探索。昨年までと違って県境を越えても特に問題ないのだが、なぜか愛知県内にこだわっている自分がいた。

♪なんでだろう なんでだろう なんでだなんでだろう♪

 この日の午前中に訪れたつぐ高原はいやに低調で、黒色系アゲハの姿自体が少なかった。11時ごろには見切りを付けて面の木峠方面へ移動したが、こちらも輪をかけて低調。ヤマツツジは日あたりによって5分咲き~満開で、時期的には申し分ないと思えたし天気も悪くなかったが、蝶影は薄く、湿原に咲くクリンソウの写真を撮ったり、流暢な日本語で話しかけてきた中国人夫妻と会話を交わしたりしながら時間をつぶした。

 それでも午後1時を過ぎたころからアゲハ類の姿をボツボツ見るようになり、2時から3時ごろにかけて、ようやくヤマツツジを訪れるミヤマカラスアゲハの数も増えてきた。しかし、山あいの午後は早い。気付けば3時半には早くも日の当たらないヤマツツジが増えていて、そしてあっという間に納竿とあいなった。

[記録]2022年5月22日(日) 同行者 なし

愛知県北設楽郡設楽町津具(つぐ高原) ミヤマカラスアゲハ 1ex.目撃

愛知県北設楽郡設楽町津具(面の木峠付近) ミヤマカラスアゲハ 5♂

 


■ 5月25日(水) 愛知県のミヤマカラスアゲハ(パート3)

ミヤマカラスアゲハ ♂。後翅表の半月紋が赤い。
ミヤマカラスアゲハ ♂。後翅表の半月紋が赤い。

 3日前にはヤマツツジに来たミヤマカラスアゲハを5頭ネットしたがすべて♂だった。鮮度はおおむね良好だったので、♀を狙うには少し時期が早かったと判断してこの日に出直した。

 結果は、カラスアゲハが増えてミヤマカラスにはなかなかお目にかかれず、やっと3頭ネットしたがすべて♂で、当然のように傷んでいてすべてリリース。

 この日ネットした3♂の中に、後翅表の半月紋が赤い個体がいた。♀の半月紋は美しい赤だが、♂は青や緑と思っていたのでので少し驚いた。後日確認したところ、3日前の採集品5♂のうち2♂が同様に赤が発達していた。これまでに私が採集したわずか20頭余りのコレクションの中に、こんなに赤紋の発達した♂はいない。これはいったいどういうことだ。今後は♀を狙うばかりでなく、♂も採ることに決めた。

 また、この日は終日同じ場所で腰をすえて粘った結果、ミヤマカラスアゲハの行動パターンが少し見えてきた。1日で何か所か移動する採集をしていると、時間軸でアゲハ類の活動を捉えることができない。いないと「場所が悪い」「時期が悪い」と考えがちだが、実は「時間が悪い」ということがきっとある。この日の調査地点は山の中腹のヤマツツジ自生地だった。この日も午前中は低調で、特に11時から正午はからっきしダメ。それが午後になるとオナガアゲハが増えはじめ、午後2時ごろからカラス、ミヤマカラスが数を増した。

 多分午前中は出払った後で、午後になってヒルトッピングから麓の発生地へと帰る途中の個体が立ち寄ったのだろう。現地は全体が深い森で樹高が高く、樹冠を飛ぶミヤマカラスがヤマツツジを見つけて降りてくる。♂の場合、吸蜜のためというより吸蜜中の♀がいないかチェックするために降りてくる。ヤマツツジの周りを舐めるようにして2度3度と巡回し、♀がいないと分かると吸蜜することなく再び樹冠へと消えていく。 

◇ ◇ ◇

 ところで、この日の昼過ぎだったろうか、深い森の中の林道上を、ヘロヘロと飛ぶホタルガを少し大きくしたような「蛾」がいた。そう、その時は蛾と思った。飛び方といい、雰囲気といい、ホタルガ以外に思い浮かぶものはなかったが、少し違う気もした。基本的に蝶以外の虫は採らないが、蝶に擬態している昼行性蛾は採ることにしている。マレーシアなどで時々見かけるマダラチョウに擬態する蛾を思い浮かべながら、「ホタルガモドキ」をひょいとすくってネットの中を見て驚いた。

 ス・ミ・ナ・ガ・シ・・!? そう、見まごう事なきスミナガシだった。私が知るスミナガシは迎撃戦闘機のように颯爽と滑空して、くるりと旋回するカッコいい蝶だ。決してパタパタと羽ばたきながらヘロヘロと飛んで、人が小走りで駆け寄って片手でひょいとすくって採れるようなダサい蝶ではない。羽化不全かと思ったがそんなことはなく、新鮮な♂だった。

 スミナガシって、こんな飛び方するんだ。まだまだ知らないことが多いと思った。

[記録]2022年5月25日(水) 同行者 なし

愛知県北設楽郡設楽町津具(面の木峠付近) ミヤマカラスアゲハ 3♂(すべてボロ、リリース)、カラスアゲハ 2♂、スミナガシ 1♂

 


■ 5月28日(土) 飛騨市二ツ屋のミヤマカラスアゲハ

 前回、後翅表の半月紋が赤い♂が得られたので、他の産地の♂を採ってみたくなって奥飛騨までやって来た。さすがにミヤマカラスアゲハのためにわざわざ奥飛騨までやって来たわけではなく、深洞湿原のギフへ行くのに日帰りはきついので、1日目はミヤマカラスと戯れて、2日目に深洞へ入ろうという算段である。

 勝手知ったる二ツ屋の渓谷沿いは、この時期ミヤマカラスアゲハの吸蜜植物はほとんど見当たらない。所々で車を停めて吸水に来ていないかチェックするが全く姿を見ない。朝から辛抱していた●●を途中でトラップとして仕掛け、いったん楢峠を越えて富山県側の原山本谷へと向かう。峠の向こうは北向き斜面のため景色が一変し、まだ春の残り香が強く感じられる。痛んで白っぽくなったギフチョウがいくつも道ばたに姿を見せるが、ミヤマカラスアゲハの発生には数日早いと感じた。

●●トラップに飛来したミヤマカラスアゲハ ♂
●●トラップに飛来したミヤマカラスアゲハ ♂

 再び峠を越えて岐阜県側に戻ってきたが、ウスバシロチョウやサカハチチョウが飛び交う初夏の景色の中に、相変わらずミヤマカラスアゲハの姿はない。少し嫌になりかけたところでトラップを仕掛けた場所までやってくると、いた! 姿は全く見ないが、どこからやって来たのかトラップにはきっちり来ていた。そしてその個体を採集してしばらくすると、いつの間にかまた次の個体が来ている。そしてその個体を採集するとまた次が…。という具合で、飛んでいる姿は全く見ないがトラップには退屈しない程度にやってきて、合計6♂を採集できた。予想どおりとはいえ、後翅表の半月紋が赤い個体はいなかった。

◇ ◇ ◇

スミナガシの轢死体。
スミナガシの轢死体。

 この日も、またしてもスミナガシに遭遇した。今度は路上に落ちていた。轢死体である。

 本来は暖地性のこの蝶が、富山県境にほど近い奥飛騨の渓谷に、車に轢かれるほどうじゃうじゃ飛んでいるはずもない。そもそも車自体が数えるほどしか通らない。舗装はされているが路面はデコボコで、幅員は狭くカーブは多い。国道とは名ばかりの、泣く子も黙る「酷道」である。飛ばす車なんていやしない。にもかかわらず車に轢かれるということは、面の木峠のときと同様に、ホタルガみたく路上をヘロヘロ飛んでいたのだろうか。きっとそうに違いない。

[記録]2022年5月28日(土) 同行者 なし

岐阜県飛騨市二ツ屋 ミヤマカラスアゲハ 6♂、スミナガシ 1♂(轢死体)

岐阜県飛騨市原山本谷 ギフチョウ(ボロ)4ex.目撃

 


■ 6月2日(木) 南信地方のベニモンカラスシジミ

 2015年に始まった「まだ見ぬ恋人ベニモンカラスシジミを訪ねて南信濃の旅」は、進展のないままやる気が失せてしばらく中断していた。このたび三遠南信自動車道の延伸工事が本格化し発生地が破壊されつつあるとの情報をキャッチして、やっと重い腰を上げて再開である。とはいえポイントの新しい情報があるとかではなく、例によって出たとこ勝負である。

 かつては同じ場所ばかりしつこく何度も通った。最初にいきなり1頭目撃したものだから、どうしてもその場所に固執していた。しかし、何度通ってもそれっきり見もしない。そればかりか採集者にもカメラマンにも一切会わない。ということは、単に「見当はずれ」だった気がしてきた。

生息地?の環境。
生息地?の環境。

 そこで今回は全く別の場所を探すことにして、地形図上で何か所か目星を付けてきた。と言っても何の根拠もなく単に渓流沿いの怪しげな林道を進んだだけだが、いきなりそれらしい環境に出くわした。

 すげー、絵に描いたようなベニカラの生息環境! と知ったかぶりして勝手に色めき立ったまでは良かったが、結局見もせず。植樹も見つからず。もっとも、急斜面で岩がゴロゴロしているうえに苔むしていて滑りやすく、探そうにも効率が悪すぎる。要は成虫採集の場合、生息地付近に吸蜜植物などのキャッチングポイントがないと厳しいということと思い知った。またしても惨敗。

[記録]2022年6月2日(木) 同行者 なし

長野県飯田市南信濃  ベニモンカラス null 、ミヤマカラスアゲハ 1♂

 


■ 6月18日(土) 南信地方のキマダラルリツバメ(1)

クリはほぼ満開。
クリはほぼ満開。

 前回久しぶりにベニモンカラスで南信を訪れたところ、今度はキマルリが恋しくなった。というか、影も形もないベニカラにすぐに嫌気がさし、気づけばウメやサクラを探し歩いていた。その際に気になる場所があったので、今回行ってみることにする。

 この日の飯田市の降水確率はYahoo!が70%でウエザーニュースが30%。えっ、こんなの初めて見た。いったいどっちを信じればいいの? ―― こういう場合は、自分に都合の良いほうを信じることにする。

 さて、道中は日差しもあり、着いたときは曇っていたが明るく無風でキマルリが飛べば目で追いやすいコンディション。この時点で雨の心配は全くなく、クリもほぼ満開で季節的にも問題なさそうに思えた。

 ところが、久々なのでまずは既知のポイントでサクラを叩くが、はてさて、叩けど叩けど飛ぶ気配がない。今回は大学生のH君を連れてきており2人で叩いているので効率的なはずだが、2人ともサッパリ。1頭だけそれらしいのが飛んだがすぐに見失って、それっきり。このあと前回ベニカラの時に目星を付けた場所へ行くも、こちらも手ごたえがなかった。

 この日はこの時期としてはかなり低温で、そのせいかクリは咲いているのに全く虫が来ていない。キマルリどころか定番のヒョウモン類もミスジもセセリもルリシジミもいない。ハナムグリもいないし、ハチやアブさえろくに来ていない。そこで、もしや季節が遅れている可能性を考えて、より発生が早い天龍村へ移動することにする。

 天竜村に入って間もなく、路面が濡れているのでけげんに思っていると、不意に明るい空から雨が落ちてきた。そのまま本降りになり、午後になっても断続的に降り続いた。テリタイムは無情の雨。全くの不完全燃焼に終わった。 

[記録]2022年6月18日(土) 同行者 H君

長野県飯田市南信濃  キマダラルリツバメ null

長野県下伊那郡天龍村 キマダラルリツバメ null

 


■ 6月23日(木) 滋賀県長浜市のヒサマツミドリシジミ

 当地を初めて訪れた2014年6月29日は、思いもかけないヒサマツミドリ14♂採集の大成果で、中には目線よりも低いクマザサ上でテリを張る個体さえいた。その時なら写真撮影は楽勝だったはずが、残念ながら採集に夢中で1枚も写真を撮っていない。

 その後も当地へ毎年のように何度もしつこく通っているのは、表向きはフジミドリ狙いと言いつつも、心のどこかであの時みすみす逃したシャッターチャンスを後悔している自分がいるからだと思う。

 しかし、翌年以降は何度訪れてもヒサマツにはほとんどお目にかかれず、多くて2-3頭見れば良いほうで、1頭も見ない時もある。そんな有様だから見たとしても決まって高所で、最初の年の出来事は夢か幻になりつつあった。そのうえ、いつの間にかクマザサは身の丈ほどに伸び、ブナをはじめ周りの木々も少なからず枝が伸びて条件が悪化してしまった。

◇ ◇ ◇ 

 この日もヒサマツは最初から半分あきらめていて、狙いはフジだった。ところが早い時間帯に思いがけない場所でヒサマツが飛んだ。その場所こそは、最初の年に一番初めにヒサマツを採ったそのブナの枝先である。あの時はネットしたらすぐに次の個体がやって来て、それを採るとまた次がやって来た。しかし今日はそんなにうまい具合にいくと思えないので、当然のこと、この1頭に賭けて撮影にトライする。

ヒサマツミドリシジミ ♂
ヒサマツミドリシジミ ♂

 真下からだと枝葉が邪魔で見えないが、少し離れると遠目ながら肉眼でヒサマツの姿が捉えられる。なのに、いざカメラを構えると距離が遠すぎて全然ダメだ。思い切りズームにする必要があり、わずかな手振れですぐにフレームアウトしてしまう。一度見失うと、もう一度最初からやり直してピントを合わせるのに四苦八苦。ちゃちなコンパクトデジカメのうえ、三脚を持参しなかったのが致命的だった。何度かシャッターを切ってはみたが、撮れている気がしない。何度もしつこく挑戦したが、どうしても上手くいかない。三脚を持参しなかった自分にイラつくほど後悔して、ここは仕方なくあきらめて採集することにした。8mの磯玉でちょうど届き、無事ゲット。新鮮な♂だった。下手っぴには三脚が必須であることを改めて思い知った。

ブナの葉上で占有行動をとるヒサマツミドリシジミ ♂
ブナの葉上で占有行動をとるヒサマツミドリシジミ ♂

 帰宅後、気乗りしないまま撮影データをパソコンに取り込んでいてあっと驚いた。手振れやピンボケで、何を撮ったのか分からない大量の写真に混じって、見事にヒサマツを捉えた1枚があった。ピントが少々甘いとか、これじゃあヒサマツだか何だか分からないとかそんなの関係ない。私にしたら十分すぎる1枚だった。奇跡の1枚かもしれない。6年前に2万円ちょっとで買った安物のデジカメ。今さらながら素晴しいこの性能! 下手な鉄砲も数撃ちゃあ当たる、とはまさにこのこと。驚きの一語である。 

[記録]2022年6月23日(木) 同行者 なし

滋賀県長浜市 ヒサマツミドリシジミ 2♂、メスアカミドリシジミ 2♂、ウラクロシジミ 1♂

 


■ 6月26日(日) 南信地方のキマダラルリツバメ(2)

クリの花は完全に終わっていた。
クリの花は完全に終わっていた。

 この日は前回不完全燃焼に終わった南信のキマルリのリベンジと称して、H君と2人でのこのこやってきた。正直、時期的に遅い気がしたが、親切にポイントを教えてくれる人がいたため、来シーズンに先送りせずに行くことにした。

 現地に着くと、最近あまり管理がされていないのか、もしくは耕作放棄されたような古いウメ畑で、相当数のウメの古木がある。当たればデカそうだ。しかし、予想どおりクリの花は完全に終わっていて時期的には苦しいかもしれない。

 そして、やはりというか結局というか、午前中の叩き出しでは全く見ず、午後から叩いて1頭出たが見失い、夕方のテリタイムでも1頭飛んだが止まらず。H君ともども連続完封負けを喫した。撃沈!

[記録]2022年6月26日(日) 同行者 H君

長野県下伊那郡天龍村 キマダラルリツバメ null

 


■ 9月3日(土)- 10日(土) べトナム・クックフォン国立公園

 あれは確か6月末のことだった。9月にベトナムのクックフォンへ行かないかと仲間から誘いをもらった。前回2019年6月以来コロナで中断していたが、国立公園内で採集許可を取ってスカシバの調査を行なうもので、合間には各自好きな虫も採集できる。誘いをもらった時点でコロナは第7波の前でかなり沈静化していたが、海外渡航はまだ当分先と思っていたので正直驚いた。が、同時に、「行けるかも」と思うと心が躍った。

 さすがに二つ返事とはいかなかったが、行くと決めたらあとは早い。フライトをチェックすると、大幅減便になっているせいかすでに「残りわずか」の表示が出ていて、あわててポチッた。パスポートが切れていたのですぐに申請。このあと計画していた国内採集はすべて取りやめ、フリーザーが満杯だったので週末は軟化展翅に精を出した。

 こうして1か月ほどが過ぎたころ、何気に現地のコロナの状況や出入国規制などをネットで調べていて、驚愕の事実に気づいた。

 ベトナム国内は統計上はかなりコロナは収束していて、入国時の制限も事実上撤廃されている。問題はわが国だった。日本に帰国する際の入国制限は大幅に緩和されたとはいえ、まだ「48時間以内陰性証明の提出義務」が残っていた。つまり、ベトナムを発つ前に現地でPCR検査を受け、陰性証明を取っておく必要があるのだ。これがないと日本に入国できない。

 このことの意味は重大だった。そもそもPCR検査は結果が出るまでに1日近くかかる。クックフォンのような田舎で検査が受けられるはずもなく、検査のために1日早く採集を切り上げてハノイへ戻らなければならない。その晩はハノイ泊で、翌日、検査結果が陽性だったらどうなるか。仲間はみんな陰性で機上の人となり、自分だけひとりハノイに取り残されて‥。想像しただけでゾッとする。

 そして出発を目前に控えたある日、こんな電話が知人から入った。

知人「大岡さん、確かベトナムへ行くって言ってたよね」

私 「今週末に出発します」

知人「僕、昨日ベトナムから帰ってきたんですよ」

私 「あれ? お盆前に帰られると聞いた気がしますけど」

知人「それがね、向こうでコロナになってね、ひどい目に遭ったよ」

私 「えっー!」

知人「帰国の時のPCR検査で陽性になってね、そのままホテルで10日間缶詰めですよ。症状が消えてもなかなか陰性にならなくて、5回目の検査でやっと陰性になってね。いつ陰性になるか分からないから、その間、帰国便を3回も変更したよ」

私 「それは大変でしたね」

知人「5つ星ホテルに泊まってたけど、当たり前だけどベッドメイキングなんかしてくれないしね。それにオーバーステイになったんで、出国手続きがこれまた大変でしたよ」

私 「原因はコロナと分かっているのに、ですか?」

知人「理由はどうあれオーバーステイは犯罪だからね。罪人扱いですよ。カウンターパート(海外事業の現地受け入れ担当者)がいたんで助かったけど、自分ひとりじゃとてもじゃないよ」

私 「…」

 この話をもう少し早く聞いていたら、小心者の私はおじけづいてベトナム行きをキャンセルしていたに違いない。しかし実際には、この話の数日前に日本政府は「ワクチン3回接種で9月8日以降は陰性証明不要」の決定を下していた。私はワクチンをすでに4回接種しており、帰国予定日は9月10日だった。なんだか本当はフライングだったけれど、ルール改正があってフライングが取り消されたような気分だった。

クックフォン国立公園の位置。
クックフォン国立公園の位置。

 前置きが長くなったが、こうして嬉々として出かけたベトナムだったが、前回の2019年6月と比べて蝶の数は目立って少なかった。亜熱帯に属するクックフォンは、この時期は夏の終わりから秋の初めの端境期だったのかもしれない。しかし、そんな時こそかえって大物と遭遇したりするもののようだ。

 それはありふれた道ばたでの出来事だった。そこここにシロチョウの吸水集団があるのも、クックフォンではむしろありふれた光景である。そのありふれた光景の中に溶け込んで、シロチョウに混じって吸水する茶色い大きな蝶の存在に、気づいていたのにあやうくスルーしそうになった。カギバアゲハをチャイロタテハと見間違えたのだった。

 カギバアゲハは、かつて五十嵐 邁 氏がテングアゲハ、シボリアゲハとともに「世界3奇鳳蝶(あげはちょう)」のひとつに数えたほど特異な姿をしている。冷静に考えて、チャイロタテハとは似ても似つかない。

カギバアゲハ ♂
カギバアゲハ ♂(クックフォン国立公園 2022年9月5日)

 それと気づいたときには、体中の血が逆流するような衝撃を覚えた。さらに次の瞬間、同じ吸水集団の中にもう1頭のカギバがいることに気づいて、身体中の血が沸騰しそうになった。

 身体中の血が沸騰しそうなわりに、なぜか身体は凍り付いたように固まって思うように動かず、むやみ時間をかけて慎重に、慎重に近づいた。

 2頭のカギバには50cm余りの微妙な距離があった。どうしよう。ひと振りで仕留めるのは無理かもしれない。せっかく2頭いるのに、1頭を狙えばもう1頭は必ず逃げる。この時ほど50cmという距離を恨んだことはなかった。

 そうこうするうち過敏に反応したシロチョウが飛び立ち、つられて何頭かがちょろちょろと飛んで小さな渦になっている。やばい! 無我夢中で思いっきりバサッとかぶせた。ネットの中は、カギバと一緒にシロチョウがいくつも入ってわちゃわちゃになっている。同時に大量のシロチョウが一斉に四散して周囲は大変な騒ぎだ。

 それなのに、もう1頭のカギバはすぐ横で悠然と吸水を続けていた。「珍品=俊敏」という私の勝手なイメージとは裏腹に、カギバは何が起きても動じない「大物」だった。こうして2頭目も簡単にゲット。これには笑った。

◇ ◇ ◇ 

 次の日、再び別の場所でカギバと出会った。今度は大きく開けた見通しのきく場所で、足元はびちゃびちゃに濡れている。そこへカギバが飛来した。飛来したが、狂ったように飛び回ってなかなか吸水場所が定まらない。その特異な翅形のため真っすぐ飛ぶのが苦手なのだろうか。さながら中国雑技団の少女のように、地表近くをアクロバティックに飛んだり跳ねたりしながら転げまわるように飛んだ。

 濡れた地表面や草ぼこの上を転げまわるように飛ぶものだから、せっかくの素晴らしい羽はすぐにボロボロになる。この日この場所で2頭のカギバを仕留めたが、残念ながら2頭ともかなり羽が欠けていた。羽化後そんなに日が経っていると思えない新鮮さなのに。

[記録]2022年9月3日(土)-10日(土) 現地5.5日(内1.5日は大雨) 総勢5名

 ベトナム・クックフォン国立公園 

カギバアゲハ 4♂ パラドクサマネシアゲハ 1♂(M氏採集) エリフィラエイナズマ 1♂ ゴマフフタオ 3♂ 等、111頭採集。