蝶屋なら多くはきっと、自己採集種類数を増やすことに熱中した蝶屋としての「青春時代」があったことと思う。私も10代から20代半ばまでがそうだった。大学3年の秋、初めて石垣島と西表島へ行って大幅に自己採集種類数を増やして帰ってきた直後に、今度は友人に誘われてタイへ行くことになった。初めて行った海外。これが私にとって大きなターニングポイントとなり、それからというもの熱帯に魅了されてジャングル通いが始まる。国内は採集には行くけれど特定の好きな蝶だけを採りに行く傾向が強まって、種類数を増やすことへの興味が次第に薄れていった。
採集禁止の蝶を別にすれば、自宅から車で行ける範囲に生息しているのに採ったことのない最後の蝶 ―― それがベニモンカラスシジミである。私にとって30年越しの宿題となっていた。かつてベニモンカラスといえば越冬卵を採集して飼育するものと相場が決まっていて、成虫採集はほとんど無理という固定観念があった。しかし、最近では数々のブログに成虫の生態写真がアップされている。これだけ大勢のブロガーがベニカラを撮影しているのだから、私が思うほど採集も難しくないのではないか。なぜなら、撮影よりも採集のほうが、きっとたやすいに相違ないからだ。
前置きが長くなったが、こうして初めてのベニカラ採集行となった。例によって、誰かに聞けばきっとポイントを教えてくれるに違いないが、自分で探すことに意義があるのであえてゼロベースからのスタートである。分かっているのは長野県旧南信濃村から静岡県旧水窪町一帯の天竜川流域ということと、「原色日本蝶類生態図鑑(Ⅲ)(保育社)」によれば、標高420mから700mに生息地がある、ということだけだ。
この日は初日なので、地形図上で目星を付けた場所をなるべく数多く回るつもりでいた。ところが、行きの車で雅恵が体調を崩してしまったので、具合の悪い雅恵を連れてあちこち回ることを断念。仕方なく、特に根拠もなく勝手に「本命」と予想した場所で、風通しの良い木陰に大きなキャンピングチェアを置いて雅恵を座らせ、独りで周辺へ探しに行くことにする。いつもなら2時間も3時間も放っぽらかしにしたりするのだが、さすがにこの日は絶対1時間以内に戻ろうと決めたので片道30分が限度となった(「おいおい、具合の悪い妻を1時間も放っとくなよ」の声いずこより)。
そんなこんなで、中途半端な気持ちのまま、それでも歩ける範囲でベニカラと食樹のコバノクロウメモドキを探して回った。ところが、ベニカラはおろかコバクロさえ全く見つからない。ブログで見る写真の多くはウツギで吸蜜中の個体だが、なぜかウツギも開花していない。フライングか? そもそも「風通しの良い木陰」に雅恵を待たせているが、ベニカラの生息地の「湿度が高くてじめっとした林内」のイメージとかけ離れているかもしれない。もしかすると場所も外し時期も外して、まるで見当違いのことをやっているかも…。
手がかりを得られないまま渓谷沿いの深い林内をさまよい歩いているとき、中型のコガネムシが飛んできたのですくってみると、こいつだった。「永遠の昆虫少年」がまだ本物の昆虫少年だったころ、子ども用昆虫図鑑の「ハナムグリのなかま」のページの一番上に載っていた憧れの虫だ。初めて実物を見る。しかし、図鑑や写真から放たれる珍品・大物オーラとは裏腹に、実物はシャカシャカとせわしなく歩き回り、すぐに飛ぼうとする落ち着きのないヤツだった。
午後2時ごろになっていた。午前中から同じような場所をウロウロして何の手がかりもなく、正直少し嫌気がさして集中力を欠いていたと思う。不意に林内を黒っぽい小さな蝶がふらふらと不規則に飛んで、目の前のひこばえに止まった。ベニモンカラス!! 初めて見るベニモンカラスシジミ。今度こそ探し求めていた憧れの虫、憧れの蝶、30年来の恋人が、いま私の目の前に現れて「どうぞ採ってください」と止まっている。
しかし、ここでなぜか私は固まってしまった。あるいは、ブログに掲載されている生態写真をたくさん見すぎたのかもしれない。その蝶が、あたかもそこにじっと止まっている静止画像であるかのような錯覚に陥っていた。慎重に、慎重に、必要以上に慎重にネットしようとしたそのとき、飛んだ。あっけなく飛んでしまった。そして、すぐに止まりそうな素振りをちらりちらりと見せながらも、ふらふらと不規則にらせんを描きながら、ふらふら、ふらふらとブッシュをなめるように飛んで、そのまま止まることなく急斜面の上方へと消えた。消えてしまった…。へなへなとその場に座り込んだ。
[記録]2015年5月31日(日) 同行者 雅恵
長野県飯田市南信濃 ミヤマカラスアゲハ 1♀、ミスジチョウ 1♀、ベニモンカラスシジミ 1ex.目撃
昨年ヒサマツを採ったときに、フジミドリが結構たくさん飛んでいた。しかし、ヒサマツの時期ということは当然フジには遅すぎで、適期に出直すことを楽しみにしていた。そうは言っても正直フジの採集経験は多くないので、適期がいつごろなのかよく分からない。残雪の影響とかあまり関係なさそうなので、このところの季節の推移から平年より1週間から10日以上早いと判断。来週ではもうボロい心配をして、少し早いかなと思いつつ出かけた。
果たして、影も形もなし。さすがにまだ早かった。尾根筋は風が強くて寒かった。
[記録]2015年6月6日(土) 同行者 雅恵
滋賀県長浜市 フジミドリシジミ null
この日は迷うことなく先週ベニカラを見た場所へ直行。改めてよく見ると、崖の少し上にコバノクロウメモドキが1本だけ自生している。先週はショックのあまりこれに気付かなかったが、どうやらこれが発生木で、先週は蛹から羽化したばかりの個体がここから飛び立った可能性が高い。
発生木を見つけたことで、これは大きな足がかりになると考えた。そこで、今日はここに張り付くことにして、近くで開花していたウツギの前にキャンピングチェアを据え、ここで雅恵を待たせる。私は他のウツギの花をパトロールしながら、他にコバノクロウメモドキはないかと目を光らせて歩いた。
昼過ぎまで粘った。先週よりも精力的に歩き回り探し回ったが結局気配すらなく、その1本の他にコバクロも全然見つからない。同じような環境なのに付近一帯でなぜか1本だけそこにコバクロがあって、確かにベニカラが発生していた。でも、これでは来シーズンの足がかりが出来たとは到底言い難い。
午後1時ごろには予報通り曇ってしまった。執着しすぎたこの谷に見切りをつけ、来シーズンの足がかりを求めてほかへ移動しようとするが、途中で土砂災害の復旧工事のために通行止めになっていて、あっけなく断念。仕方なく別の場所を探そうと車を走らせる途中、余計なものが目に入った。ひと昔前、キマダラルリツバメを採った覚えのある桜並木が健在だった。あれほどベニカラに思いを馳せ、覚悟を決めて2週連続で南信までやって来たというのに、軟弱にもここで浮気してキマルリにちょっかいを出してしまった。
見覚えのある桜を叩くと、まだ6月上旬だというのにすぐにキマルリが飛んだ。完全に曇ってしまったことが幸いし、午後2時ですでにテリトリー飛翔のようだ。それにしてもキマルリのテリ飛翔って、こんなに速かったっけ? 久しぶりに観るキマルリは速すぎて目がついていかない。闇雲に長竿を振り回すばかりで、全然採れる気がしない。我れながら、加齢に伴う運動神経の衰えは目を覆うばかりである(他人が見れば、若いころから目を覆うほどの運動神経だったかも…)。それでもやっとの思いでなんとか1♂を仕留め、待ちくたびれた雅恵からはため息をつかれ、満足したことにして帰途につくのだった。
[記録]2015年6月7日(日) 同行者 雅恵
長野県飯田市南信濃 ミスジチョウ 1♀、メスアカミドリシジミ 1♂(雅恵採集)
長野県飯田市南信濃某所 キマダラルリツバメ 1♂
先週のフジは明白なフライングだったが、それでいて、この日はもうボロではないかと心配しながら出かけた。
果たして、先週とうって変わって途中の林道上には多数のテングチョウやアカタテハ、ミスジチョウ、ヒカゲ類などの蝶が飛び交い、いやがうえにも気分は高まる。ポイントに12時半ごろ到着。さっそくブナを叩くが、まだ何も飛ばない。それでも叩きながらウロウロしていると、徐々にキンモンガなどの小型の蛾が飛ぶようになる。次第に雲が増えてくるなか、午後2時ごろには鬱陶しいほどの蛾が飛ぶようになった。だが、フジは飛ばない。3時過ぎごろ1頭だけそれらしいものが飛んだが、確認できないまま見失ってしまった。そのまま午後4時半まで粘って遂にギブアップ。
なぜだ。もう絶対発生しているはずなのに‥。これで来週が適期だったら、6月29日でボロボロだった昨年とほとんど発生時期に変わりがないことになる。南信では平年より10日以上季節が進んでいる印象なのに、この季節感のズレはいったい何なんだ。
結局、翌週は土日とも出かけられず、発生状況を確認できないまま終わってしまい、二度のフライングを無にしてしまった。
[記録]2015年6月13日(土) 同行者 雅恵
滋賀県長浜市 フジミドリシジミ null
ボルネオ行きの日程をここに入れていたので、その準備もあって国内採集は早々と打ち止め。2年4か月ぶりの海外採集行である。このサイトのタイトルを「ジャングルに蝶を求めて」などと銘打ちながら、このところ「里山にギフチョウを求めて」ばっかりで、看板に偽りあり状態となっていた。
サラワク州クチンは今回が5回目。90年代に2回行っており、かなり間が空いて2010年代に入ってからこれで3回目の採集行となる。
この時期はいちおう乾季に当たるが、年中高温多湿な熱帯雨林気候のこと、乾季といえども雨はよく降る。ちなみにクチンの月別降水量は7月が最も少なく約190mm。これは名古屋の7月とほぼ同じ。名古屋の7月は6月よりも少し少ないだけで、年間で3番目に雨の多い月である。
今回は滞在3日間のうち、まとまった雨は夜間に降ってくれて日中はスコールがザッとくる程度だった。しかし、その割りに日照時間が短く、しかも日が陰ると気温は高いのになぜか蝶はピタリと飛ばない。全体的にはかなり低調な印象で、3日間の採集数は雅恵と二人合わせて76頭。内容は別にして、数だけで比較すれば自己ワースト2の記録である。ちなみにワースト1も3年前の8月のクチン。懲りないやつとは私のことで、要するにこの時期のクチンには行かないかほうが良いということかもしれない。
そんなに低調ななかでもマカレウスタイマイだけは多く、初めのうちはせっせと採集していた。が、こんなに多いとそのうち採る気が失せて動画を撮ったのでアップしておく。
[記録]7月24日(金)-26日(日) 同行者 雅恵
東マレーシア・サラワク州 クチン周辺
ノックスアケボノアゲハ1♀、フスクスアゲハ1♂(雅恵採集)、クラトラータヒメイナズマ1♂(雅恵採集)、シンジュフタオ1♂、キネシアフシギノモリノオナガシジミ1♂、ピゲラエグリバセセリ2♂(内1♂雅恵採集) 等々、3日間(実質1日半)で76頭採集。