初めてのべトナム。
初めて雅恵を家に残して行く海外。
私自身は仲間と一緒なので何の不安もないが、雅恵を私の母、つまり姑と二人きりで家に9日間も置き去りにすることについては、いささかの後ろめたさもあった。
でも、これを逃すとベトナムへ行く機会は二度とないかもしれない。そもそも国立公園内で許可を得て採集できる機会など滅多にあるものではない。そう思うと、「行きたい:後ろめたい=9:1」で「行きたい」気持ちが圧勝したため、行くことにする。(言い訳長すぎ!)
今回は総勢5名で、目的はクックフォン国立公園で採集許可を取ってスカシバの調査を行うもの。スカシバ採集の合間に各自好きな虫を採っても良いとのことで、かなり蝶が多そうなので頼み込んでメンバーに加えてもらった。私だけが初参加で、他のメンバーは全員リピーターである。
最初に現地でポイントに着いて、アッと驚いた。あまりにも蝶が多い。多すぎる。そこかしこで色んな蝶が吸水集団を形成している。常に視界の中をいっぱい蝶が飛んでいて、そんな中でちっぽけなスカシバを探すのは至難の業(わざ)だ。正直スカシバを探しているつもりでも、気が散って気が散って、目移りしてしまって全然集中できない。自分なりにスカシバを採ろうと努力したつもりではあったが、結果がすべての世界で言い訳のできない結果に終わった。これはどうやら “戦力外通告” 間違いなしで、次回のお呼びはないなと思った。
クックフォンはハノイから南南西へ直線距離で100kmほどの丘陵部に位置する。北部ベトナムは当然に熱帯モンスーン気候と思っていたが、調べてみると実はハノイは最も気温の低い1月の平均気温が16-17℃であり、18℃を下回るので温帯に区分されることが分かった。ケッペンの気候区分は熱帯の次がいきなり温帯なのでこうなるが、日本人の感覚では「亜熱帯」と思ったほうが理解しやすい。
今回訪れた6月上旬はすでに雨期に入っており、6月1日の夜にクックフォンに着いたときは土砂降りだった。この先が思いやられるとその時は思ったが、その後は夜には何度かまとまって降ったものの、幸運にも日中は一度も降らなかった。
現地で入手したパンフレットを簡単な概念図にしてみた。
右下付近が入口で、Head Quarters(HQ)やGuest Houseなどの建物がいくつかある。入口から車の通れる舗装道路がまっすぐ奥へ延びていて、ビジターセンターまで約20km続いている。採集は入口のGuest House 周辺、入口から1.5kmほど奥へ進んだところのマック湖周辺、ビジターセンター周辺やその奥、および中央の道路沿いなどで行った。
クックフォンを含むベトナム北部には石灰岩地形が広がっている。写真はハノイからクックフォンへ向かう途中の車窓風景だが、遠方の山並みが驚くべき形をしている。上の概念図のマック湖の後方の山もそうだし、観光名所のハロン湾もそうだが、この付近一帯こうした地形が普通に見られるらしい。
国立公園というと「原生林」「手つかずの自然」を勝手に想像するが、クックフォンはそうでもない。一見、大木もあって森が深かそうにも見えるが、よく見ると全体が明らかな二次林である。
マレーシアのジャングル(熱帯雨林)は樹高が高くてかつ密林なので林床に太陽光がほとんど届かないが、クックフォンは写真のとおり林床は結構明るい。ガイドブックを読むと平気で「クックフォンのジャングルでは‥」とか書いてあるが、「ウソ」である。
今回6月はすでに雨期に入っているということで、行く前からイナズマなどのタテハを期待していた。というのもマレーシアのランカウイ島が雨期前半の7月頃がタテハのベストシーズンなので、今回もタテハを密かに期待していた。
結果はほぼ期待通りで、そのうえ今回は自然トラップつまり落果があったのがラッキーだった。
右はオオバイチジクの大木。これまでマレーシアでも何回か見たことがあるが、こんな大木は初めてで、こんなに実が熟しているのも初めて。熟した実がいっぱい地面に落ちていた。建物周辺のオープンランド的な環境で、近くの森から30-40mほども離れていたが、それでもEuthaliaやTanaeciaを始めとするタテハや各種ジャノメ等がいっぱい来ていた。
地面の落果にばかり気を取られていると、木の上でなっている実にも来ていた。右の写真は、まだ実が熟れていないどころか、まだ実の形になっていない。イチジク(無花果)というぐらいだから「花」と呼ぶのも変だが、花に相当するものだと思う。動画で確認すると、2頭とも口吻をせわしなく動かしているのを確認できる。
次にこちらはレンブという果物。マレーシアではたまに店先に並んでいるのを見かけるが、食べても甘みも酸味も薄くてとりたてて美味というほどではない。
このレンブの大木がGuest Houseの建物のすぐ裏手にあり、おびただしい落果があった。朝起きてすぐと、朝食を済ませて採集に出かける前と、採集から帰ってきた時の1日3回チェックするのが日課となった。朝夕のせいかジャノメやワモンが中心だったが、タテハもボチボチ来ていた。日中、昼間の時間帯に一度もチェックできなかったことが悔まれる。
[記録]2019年6月1日(土)-9日(日) 現地6.5日 総勢5名(他ガイド1名、運転手1名)
ベトナム・クックフォン国立公園
ダルリサマダラジャノメ 16exes. ディオレスルリワモン 15exes. ルベンチナベニボシイナズマ 1♂1♀ コケムシイナズマ 1♀ フェミウスイナズマ 1♀ ゴマフフタオ 2♂ 等、360頭採集。
ベトナムで一緒だったメンバーの一人からお誘いをいただいて、今度は初めてのミャンマーへ行く。今年3回目の海外遠征となり、なんだか歯止めの利かない自分が怖い。
目的地はシボリアゲハやテングアゲハで有名になったケネディ・ピーク周辺と、そこからさらに奥のインド国境に近いチン州山岳地帯である。現地には宿泊施設が満足にないので、教会などに泊めてもらう。食料と水、調理器具やガスボンベなどを4WDに積み込んで、食事を作ってくれるスタッフも帯同する。日本から行く虫屋4人と、ヤンゴン在住の日本人ガイド(日本語学校の校長先生で蛾屋)とそのミャンマー人の美人奥様、それに運転手を含め総勢9人で2台の4WDに分乗して奥地を目指す。
ところがところが、あろうことか出発直前になって私が帯状疱疹を発症してしまう。帯状疱疹はひどいと入院するというし、そうでなくても激痛で苦しんだりする。しかも私の場合これが顔面に出たので面倒なことになったと思ったが、幸い気付いたのが早かったので大事に至らずに済んだ。
出発の1週間前に左目に違和感を覚えたのが始まりで、2-3日後にこれがかすかな痛みに変わった。すぐに眼科を受診したが、特に異常ないとの診断。眼科の先生曰く、
「ごめんなさいね。所見がないから、何もして差し上げられないの」
痛みがあるのに異常がないと言われると、余計に不安が増す。しかし待てよ。確かに目に痛みがあるのに、目には異常がない。ということは、目の神経に異常があるということか? ということは、もしや帯状疱疹?
眼科で精算を待ちながら、こんな感じでひらめいて、すぐさまその足で皮膚科へと向かう。わが家では2年ほど前に雅恵が、その前には母が帯状疱疹を発症しているので、予備知識があったのが幸いした。皮膚科でめでたく(?)帯状疱疹と診断され、先生からお褒めの言葉をいただいた。
「あなた、よくこれで気付いたわね。普通はもう1週間ぐらいあとで皮膚科に来るのよ」
その時点で、まだ疱疹など全く出ていなかった。4日後にミャンマーの奥地へ向けて旅立つが大丈夫かと尋ねると、良く効く薬を出しとくから心配ないと太鼓判を押してくださった。
ただ、その薬が神経に作用する薬のためアルコールを禁じられたのが一番つらかった。おかげで現地滞在中一滴も飲めなかった・・・はずが、向こうの農園で「ぶどうジュース」と言われて飲んだ自家製ワイン(密造酒とも言う)で瞬殺! あっという間にヘロヘロの酩酊となり、ご覧のありさま。まあ、笑い話で済んで本当に良かった。
さて、肝心な“蝶果”はというと、季節が終わっていて全くダメ。今回のメンバーのうちの二人は以前この時期に行っており、その時は時期的に遅めながらまずまずの成果だったという。それが今シーズンは雨期が例年より1か月も早い9月下旬に明けてしまったらしく、われわれが訪れた時にはすでに晩秋のたたずまいだった。
雨期が明けているから晴天続きかというとさに非ず。ケネディ・ピークやタインギン周辺の植生は「雲霧林」と呼ぶぐらいだから、雨が降らないというだけでしょっちゅう霧が発生して日照が少ない。標高2000m以上のため、この季節で日照がないと寒くて仕方ない。蝶など飛びそうにもない雰囲気のなか、それでもニイニイゼミは盛んに鳴いていた。
日 程 | 行 程 | 宿 泊 |
10月 21日(月) |
中部国際空港からハノイ経由、ヤンゴンへ。 |
ヤンゴン泊(ホテル) |
22日(火)
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国内線でヤンゴンからカレーミョーへ。 カレーミョーから2台の4WDに分乗してタインギンへ。 タインギンで夜間採集。 |
タインギン泊(教会)
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23日(水)
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午前:タインギンで採集。 午後:ケネディ・ピークへ移動。ガスって寒い。 ケネディ・ピークで夜間採集。 |
タインギン泊(教会)
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24日(木)
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午前:タインギンで採集(低調)。 午後:テディムへ移動。 パパウの森で夜間採集。 |
テディム泊(ホテル)
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25日(金)
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午前:パパウの森で採集。 午後:ターンタンへ移動。着後、採集。 ターンタンで夜間採集。 |
ターンタン泊(農園)
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26日(土)
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出発前にターンタンで採集。 カピテルへ移動途中、マニプール川で採集。 カピテルで夜間採集。 |
カピテル泊(教会)
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27日(日)
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午前:カピテルで採集(低調)。 タインギンへ移動途中、マニプール川で採集。 タインギンで夜間採集。 |
タインギン泊(ホテル)
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28日(月)
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出発前にタインギンで採集(極めて低調)。 チン州に別れを告げてカレーミョーへ。 国内線でカレーミョーからヤンゴンへ。 |
ヤンゴン泊(ホテル)
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29日(火)
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ヤンゴン市内観光。 ヤンゴンからハノイ経由、中部国際空港へ。 |
機中泊
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30日(水) |
早朝着。 |
宿泊施設がない場所では教会や農園に泊めてもらったが、どこもこざっぱりと清潔で、風呂やシャワーがないことを除けば何の不便もなかった。こうして改めて行程表を見ると、連日、移動、移動で腰を落ち着けて採集していない。そのうえ季節が遅くては成果が上がるはずもない。けれど、ガイドのK氏夫妻が事前にすべて段取りをしてくださっていて、日本人は他に誰も行かないような奥地まで行くことができ、毎日がワクワク、ドキドキで楽しく有意義な旅だった。参加して本当に良かった。
以下、時系列で写真を貼っておく。写真は私が撮ったものだけでなく、一緒に行かれた皆さんが撮ったものも使わせていただいている。
※写真をクリックすると拡大します。
近年、日本のODA(政府開発援助)で道路が整備され、テディムの町はインドとの交易で活況を呈している。そもそも、こんな山奥にこんな大きな町があること自体、驚きのひとこと。
カピテルの朝。右の建物が教会で、左がわれわれが泊まった小屋というか、地域の集会所のようなものと思われる。今日も朝から雲が多い。
皆さま、お世話になりました。
この頃には帯状疱疹もほぼ癒えて、元気に帰国の途に着きます。
蝶はあんまりというか、ほとんど採れなかったに等しいけれど、参加することに意義があるとはまさにこのこと。とっても刺激的でワクワクする旅でした。またもう一度、と言わず二度、三度・・・是非ご一緒させてください。
今回訪れた一帯は、太平洋戦争史上でも最も無謀な作戦と言われたインパール作戦で知られる地。
日本軍がインドのインパール攻略を目指して大量の牛馬とともに大河を渡り、幾重にも連なる2000m級の山岳地帯を徒歩で越えた。兵站線は伸びきり、食糧、弾薬は底をつき、兵は飢えに苦しみ、わずか数か月で3万人とも言われる犠牲者を出した。その多くは戦闘ではなく、川で流され、山で力尽き、撤退の途中で飢えや疫病で倒れて野垂れ死んだ。その惨状に、日本兵自らが「白骨街道」と呼んだという。白骨街道の名は、単に屍(しかばね)が累々と連なっていたからそう呼んだのではない。道端で倒れて息絶えると仲間が肉を切り取って喰らい、ときに骨までしゃぶった。だから死体は骨がむき出しになっていて、それでそう呼んだのだ。
最終日のテディムで、日本からの遺骨収集団の一行に出会った。収集団の方たちは、ここで亡くなった方々のご遺族や関係者で、全員が80歳を超えているとお聞きした。インパールの惨劇から75年の歳月を経て、今もなおこの地に眠る日本人がいるという。合掌。
[記録]2019年10月21日(月)-30日(水) 現地5.5日
虫屋4名、運転手2名、ガイドほか3名、総勢9名
ミャンマー・チン州山岳地帯
ツマベニチョウ 1♂ カバシタタテハ 2ex. オパリナミナミイチモンジ 2ex. チビコムラサキ 1ex. チャマダラセセリの仲間 4ex. 等、99頭採集。