2021年採集日記(下)


■ 5月8日(土) 愛知県のミヤマカラスアゲハ(パート1)

 この年の3月下旬、緊急事態宣言の解除を待っていたかのように始まった新型コロナの第4波。宣言の再発令を避けたい政府をあざ笑うかのように感染者は増え続ける。それでも再発例を躊躇う政府を恫喝するがごとくに医療はひっ迫し、やっと4月25日に4都府県限定で発令した時点ですでに大阪では深刻な医療崩壊が報じられていた。

 こうなると愛知県も時間の問題である。そこで遠出ができなくなることを見越して、昨年に続いて今年も愛知県内のミヤマカラスアゲハを探索することにする。ミヤマカラスは吸水中の♂を狙えば簡単に採れそうだが、それだとすぐに標本箱がいっぱいになってしまう(←捕らぬ狸の‥)。なのでヤマツツジに飛来する♀を狙うことにする。

《豊田市小田木町》

 昨年は瀬戸市や旧藤岡町(現豊田市)など名古屋近郊の丘陵部を探すことから始めたが、今年はそんないそうもない場所を探索するような面倒なことは一切やめて、安直にも昨年3♀採った豊田市小田木町の段戸川沿いのヤマツツジに直行!

 すると‥、ない! 確かにそこにあったはずのヤマツツジがない。まだ咲いていないのかと思って、蕾の状態を確かめようと探すが見つからない。場所が違うのかと思って辺りを探したがない。ない、ない、ない。確かにそこにあったはずのものがない。こつ然と姿を消した。

 この谷にはなぜかヤマツツジのまともな木はその1本しかなく、アゲハチョウたちにとって蜜源が他にないため絶好のキャッチングポイントになっていた。そのたった1本の、たった1本しかないヤマツツジがなくなっていた。

こつ然と消えたヤマツツジ。2021.5.8
こつ然と消えたヤマツツジ。2021.5.8
確かにこの場所にヤマツツジが…。2020.5.13
確かにこの場所にヤマツツジが…。2020.5.13

 昨シーズン、丸6日を費やして愛知県のミヤマカラスアゲハを探索し、見つけたベストポイントがこのヤマツツジだった。枯れたのか折れたのか知らないが、何という不運。何という不幸な偶然。と、初めはそう思った。

 しかし、よく考えると偶然ではなく必然だった。それは、この日を皮切りに昨年のポイントのいくつかを再訪してすぐに気付いた。冷静に考えれば、一見かなり環境良好なこの谷に、なぜたった1本しかヤマツツジがないのか。それがそもそもの謎だった。

 この素晴らしく見える段戸川の渓谷にヤマツツジが1本しかなかったのは、もともと1本しかなかったのではもちろない。もともとはたくさんあった。それがいつしか少しずつ環境が悪化して徐々に減ってとうとう1本になり、そしてその最後の1本も枯れて遂にこの谷から絶えた。昨年私が見つけたヤマツツジは、悠久の時を越えてこの谷で咲き誇ってきたヤマツツジの正に最期の1本の艶姿(あですがた)だったのだ。そう信ずるに足る出来事が、後日次々に起こる。

《豊田市小滝野町・小渡町・月原町》

 この日は気を取り直して他を探すことにする。少し時期が早そうなので標高を下げる。とはいえ昨年見つけたポイントはここより上ばかりなので、結局のところ、また1からポイント探しをする羽目になる。

 このあと奥矢作湖周辺とそこから下流の矢作川沿いを探したが思いのほかヤマツツジは見つからず、小渡町の介木川沿いでわずかに見られたのみ。小滝野町ではヤマツツジは見つからなかったが、路上で吸水中のカラスアゲハとオナガアゲハを少数見かけた。

[記録]5月8日(土) 同行者 なし

愛知県豊田市(旧稲武町)小田木町 成果なし

愛知県豊田市(旧旭町)小滝野町  カラスアゲハ 1♂ 目撃 オナガアゲハ 1♂撮影ほか数頭目撃

愛知県豊田市(旧旭町)小渡町   オナガアゲハ 1ex.目撃

愛知県豊田市(旧足助町)月原町 成果なし

 


■ 5月14日(金) 愛知県のミヤマカラスアゲハ(パート2)

 5月12日に愛知県にも緊急事態宣言が発令され、県境を越えて飛騨へギフチョウを採りに行くことができなくなった。こうしていやおうなく、昨シーズンに続いて愛知県のミヤマカラスアゲハに専念することとなった。

《豊田市小滝野町》

吸水集団(カラスアゲハ 4♂、ミヤマカラスアゲハ 1♂)
吸水集団(カラスアゲハ 4♂、ミヤマカラスアゲハ 1♂)

 まずは先週見つけた吸水ポイントへ直行すると、午前9時でもう吸水集団ができていた。よく見るとカラスアゲハ4♂とミヤマカラスは1♂のみで、しかもミヤマカラスは少し痛んでいる。一般にミヤマカラスのほうがカラスより1週間ほど発生が早いというが、これを見るとなるほどと思う。どうやらこの日はカラスアゲハの♂の適期で、ミヤマカラスの♂にはすでに遅いということらしい。ならばこの吸水ポイントで粘っていても仕方ないので他を探すことにする。

カラスアゲハ ♂
カラスアゲハ ♂
ミヤマカラスアゲハ ♂
ミヤマカラスアゲハ ♂

《豊田市稲武町》

 次に、昨年渓流の上に大きなヤマツツジが咲いていた井山川の渓谷へと向かう。

 ここでは目当てのヤマツツジは見事に咲いていた。しかし、どことなく様子が違う。去年はもっと素晴らしく絵になる景観だったが、それほどでもない気がする。単に見慣れたせいか? 帰宅後写真を見比べると、向かって左側のヤマツツジが1本なくなっていたことが判明した。それにしても去年はひっきりなしにオナガアゲハが来ていて2~3頭がもつれ飛んだりしていたが、今回は全く何も来ていない。少し時期が早かったかもしれない。

写真を見比べると、左の木がなくなっているような…。2022.5.14
写真を見比べると、左の木がなくなっているような…。2022.5.14
井山川の渓流に咲くヤマツツジ。2020.5.24
井山川の渓流に咲くヤマツツジ。2020.5.24

渓流沿いに切り開かれた林道。
渓流沿いに切り開かれた林道。

 この日、車を停めた場所から上記のヤマツツジまでは林道を200~300mほど歩いたが、途中2~3本咲いていたはずの小さなヤマツツジが見当たらない。たった1年でなくなったか?

 井山川の渓谷は、渓流沿いの景色だけを見ていると素晴らしく美しく見える。しかしその実、ほんの少し離れただけで周囲はズタズタに開発されている。場所によっては渓谷の両側ともに道が造成されていて、ご覧のあり様だ。 

 この場所から少し上流で別のヤマツツジを見つけた。渓流沿いに2本自生している。この場面だけを切り取ると、素晴らしい渓谷美の中に咲くヤマツツジの絵になる。

井山川の一見素晴らしい渓流。
井山川の一見素晴らしい渓流。
2本のヤマツツジとも、苔むした岩の上に生えていた。
2本のヤマツツジとも、苔むした岩の上に生えていた。

 この光景を眺めていてふと気付いた。写真の2本のヤマツツジとも、土の上ではなく苔むした岩の上に生えている。そういえばさきほどのヤマツツジもそうだった。ヤマツツジって、こんな特殊でデリケートな環境に生える木だっけ?

 帰宅後調べてみると、複数の園芸サイトに「乾燥に弱い」という記述が見つかった。とはいえ大阪府と奈良県境の葛城山は、山腹が真紅に染まるほどのヤマツツジの大群落で知られている。そんなにデリケートでやわな植物とは到底思い難い。

 しかし、少なくともここ井山川の渓谷の現状を見る限り、かつて渓谷沿いを彩っていたであろうヤマツツジは衰退の一途をたどり、今や谷川の水しぶきを浴びる苔むした岩の上という限られた環境のみを生息場所として、まさに岩にへばりついてかろうじて生きている。こんなあり様だから、来年はもう残っていないかもしれない。

《豊田市小田木町》

清流沿いに咲くヤマツツジ。
清流沿いに咲くヤマツツジ。

 井山川は少し時期が早い気がしたので、先週の小田木町に戻る途中、小田木川沿いでヤマツツジを見つけて車を停めた。狭い範囲で4~5本のヤマツツジが見られたが、ここでもご多分に漏れず環境が急激に悪化しているようだ。

 この写真だけ見ると、いい感じの清流沿いに咲いているようだが、実は違う。本当は下の写真だ。こんなんだからすぐに乾燥化が進み、このヤマツツジも来年はもうないかもしれない。

実は斜面が伐採されたまま放置されている(写真を2枚貼り合せたもの)。
実は斜面が伐採されたまま放置されている(写真を2枚貼り合せたもの)。

 先週、たった1本しかないヤマツツジがこつ然と消えていた段戸川沿いの林道に、何の未練か再び来てしまった。

 昨年はオナガアゲハを筆頭に、カラス、ミヤマカラス、クロ、ナガサキの各種アゲハが飛び交っていたのだから、吸蜜植物がなくなったとしても何か見られるだろう。そう思ってやって来たが、オナガをほんの少し見た以外本当になんにもいない。たった1年でこの変わりようはいったい何なんだ。

 よく見ると、林道の脇(写真で道の右側)にズクズクに生えていたはずのコクサギが、きれいさっぱりなくなっている。想像するに、林道の維持管理のため草刈りをしたのだろう。そうとしか思えなかった。

[記録]5月14日(金) 同行者 なし

愛知県豊田市(旧旭町)小滝野町 ミヤマカラスアゲハ 1♂撮影 カラスアゲハ 4♂撮影

愛知県豊田市稲武町井山川沿い 成果なし

愛知県豊田市(旧旭町)小田木町小田木川沿い オナガアゲハ 少数目撃

愛知県豊田市(旧旭町)小田木町段戸川沿い オナガアゲハ 少数目撃

 


■ 5月23日(日) 愛知県のミヤマカラスアゲハ(パート3)

《 面の木峠付近 》

ツツジで吸蜜中のカラスアゲハ♀
ツツジで吸蜜中のカラスアゲハ♀

 ここまでは暗い話ばかりだったが、5月下旬ともなり、長野県境に近い高標高地へ行けばきっと良いことがあるだろう。そう期待して、前年に見つけた面の木峠近くのポイントへやって来た。朝方はまだ寒かったうえ思ったほどヤマツツジが開花していないので、他を探してウロウロしていたらうまい具合に良さそうな場所が見つかった。

 しかし、晴れ時々曇りの天気ながら風がかなり強く、しかも冷たく、風の当たる場所は正直厳しい。それでも10時過ぎに、いつの間に飛来したのか気付いたら目の前のツツジに頭を突っ込んで吸蜜していた。カラスアゲハの♀で、まずは撮影してから採集。ここのツツジはヤマツツジではなさそうだが、そんなことはどうでもいい。しばらくここで粘ることにする。

「人間トラップ」のつもりが…。
「人間トラップ」のつもりが…。

 11時ごろからようやく風が弱まり気温も上がったのに、逆にその頃からいよいよサッパリとなった。あんまり退屈なので、ツツジのそばで三脚を立ててセルフタイマーで自撮り。赤いシャツを着ているのは還暦だからではなくて、ミヤマカラスが花と間違えてやって来るのを期待してのこと。首から下がっている緑色のプレートは銀紙トラップで、緑銀紙と青銀紙がホルダーの表・裏に入れてある。要するに本人としては「人間トラップ」のつもりで、アゲハの♀がホイホイ寄ってくるのを期待したが、結局、誰も見向きもしてくれませんでした…とさ。

《 つぐ高原 》

県道沿いのヤマツツジ。道から少し奥まった場所に生えている。
県道沿いのヤマツツジ。道から少し奥まった場所に生えている。

 昼過ぎから、つぐ高原方面へ転戦。この頃には風もやんで絶好の天気になっていた。県道沿いの所々にツツジが咲いていて、道ばたでカラス1♀とミヤマカラス1♀を採集。ただ、ツーリングのバイクや車がひっきりなしに通るので落ち着いて採集していられないし、特にカメラは無理。

 みんな考えることは同じで、緊急事態宣言が発令されて行き場がないので、山なら大丈夫と思って来ているのだろう(←そう言う自分もそのひとり)。

 そんな中、写真のヤマツツジは道路から少し奥まった場所に生えているので車が通っても大丈夫と思えたが、残念ながら東向きのため午後は日が当たっていなかった。

[記録]5月23日(日) 同行者 なし

愛知県北設楽郡設楽町津具(面の木峠付近) カラスアゲハ 1♀

愛知県北設楽郡設楽町津具(つぐ高原) ミヤマカラスアゲハ 1♀ カラスアゲハ 1♀

 


■ 5月25日(火) 愛知県のミヤマカラスアゲハ(パート4)

《 つぐ高原 》

道の駅の周囲に植栽されたツツジ。
道の駅の周囲に植栽されたツツジ。

 この日は朝から道の駅に来ていた。道の駅の周囲に植栽されているツツジで観察しようという魂胆である。さすがにここでネットを振るのは気が引けるが、カメラなら全く問題ない。

 完全にオープンランドの環境だが少しぐらいはミヤマカラスも来るだろうと思っていたが、オナガとクロとカラスばっかりで、ミヤマカラスは全然来てくれなかった。

ヤマツツジで吸蜜中のミヤマカラスアゲハ。
ヤマツツジで吸蜜中のミヤマカラスアゲハ。

 2日前に見つけた、県道からステップバックして生えているヤマツツジにそろそろ日が当たり始めるころ、そう思って来てみると…。

 いたっ!

 思惑どおりミヤマカラスが吸蜜に来ていた。しかも新鮮な♀だ。落ち着いて蜜を吸っている様子なので、まずは写真を撮る。「保険」の意味で遠目から2-3枚シャッターを切り、次にそっと近付こうとしたその時だった。どこから来たのかオナガアゲハの♂が突然凄い勢いで絡んできて、2頭がもつれ合うようにしてあっという間に飛び去ってしまった。

 ぼう然とその場に立ち尽くしていると、しばらくして戻ってきた! と思った瞬間、またしてもオナガの悪党が猛烈に体当たりしてきて、たまらずミヤマカラスは逃げ去ってしまったのだった。

 何てこった。ミヤマカラスが何か悪いことでもしたのかよ。ヤマツツジはいっぱいあるんだから、そんな意地悪しなくていいだろう。怒り心頭!!

 と、そこへ折悪しくオナガだけが戻ってきた。

 ミヤマカラスの仇(かたき)、成敗(せいばい)してくれようぞ! と思ってネットしたがボロで標本にもならないので、二度と邪魔されないように50mぐらい離れた場所までわざわざ持っていってリリース。域外追放! こうしてしばらく待ったが、結局ミヤマカラスは二度と戻って来なかった。

《 面の木峠付近 》

湿地状の場所にツツジが咲いている。
湿地状の場所にツツジが咲いている。

 この日は一昨日とは逆に、午後から面の木峠のほうへやって来た。湿地状の場所にツツジがあちこちに咲いている。ここなら遠くで吸蜜に来ていても見通しが利くので都合がよい。

 しかし一昨日は風が強くて来そうで来なかったし、この日も午後から雲が多くなって全くというほど何も来ない。要は2日とも、つぐ高原は天気が良いのに目と鼻の先の面の木峠は良くない。山あいのため風や雲が出やすいのだろうか。

 それでも気温は十分に高いので、日差しが出れば飛ぶだろうと辛抱強く待っていると・・来たっ! 向こうのほうのツツジに大型の黒色系アゲハが来ている。大きさといい、飛び方といい、カラスかミヤマカラスの♀にほぼ間違いない。駆け寄ると、新鮮なミヤマカラスの♀が目の前のツツジの低木で吸蜜している。絶好のシャッターチャンスだったが、先ほどの苦い経験が邪魔してとっさにネットが出てしまった。羽化したてと思える羽がまだ少し柔らかい綺麗な♀だった。

 あーあ、採っちゃったよ。まずは「撮ろう」と思ってたのに。せっかく待った甲斐があったというのに。撮ってからでも十分採れたのに‥。そう思えば思うほど、自己嫌悪の淵に溺れそうな自分がいた。まあ、いいことにしておこう、綺麗な♀が採れたんだから。

[記録]5月25日(火) 同行者 なし

愛知県北設楽郡設楽町津具(つぐ高原)

ミヤマカラスアゲハ 1♀撮影 カラスアゲハ 2♂ クロアゲハ 1♂

愛知県北設楽郡設楽町津具(面の木峠付近)

ミヤマカラスアゲハ 1♀ カラスアゲハ 1♂(スレ・リリース)