2023年採集日記(中)


■ 4月27日(木)- 5月5日(金) べトナム・クックフォン国立公園

クックフォン国立公園の位置。
クックフォン国立公園の位置。

 前回2022年9月に次いで3回目のベトナム・クックフォン国立公園への調査行である。前回はまだコロナが十分に収束しておらず見切り発車的な部分があったが、今回はさすがにもう大丈夫だろうという油断があった。そう、油断だった。

 私は今回が連続3回目の参加だが、調査隊自体はそれ以前から行っていて今回が6回目。最初のころはGW明けの5月中旬に行っており、その時期は本格的な夏の始まりに当たり、虫は多いが猛烈に暑いらしい。

 私が最初に参加した時は6月上旬で、虫はそこそこ多かったが蝶は全体的に傷んだ個体が目立った。2回目が9月上旬で、夏と秋の端境なのか虫は直翅目を除いてかなり少なかった。今回の時期は調査隊としても初めてでみんな期待していたが、残念ながら虫は思ったほど多くなく、9月よりはだいぶマシという程度だった。ただ蝶は全体的に鮮度は良かったと思う。

 今回この時期を選んだ最大の理由は、5月中旬に休みが取れない私の都合に合わせていただいたためだが、結果的に皆さんに多大なる迷惑をおかけした。

 まず、GWなので航空券が高いこと。予想されたことだが予想をはるかに超えた。ロシアによるウクライナ侵攻に端を発する原油価格の高騰と、日米金利格差による歴史的円安が拍車をかけて、悪質なぼったくりかと思うほど航空券が高かった。

 さらには、5月1日がメーデーというのを甘く見ていた。メーデーは言わずもがなの労働者の祭典の日で、世界中の国々でこの日は祝日と決まっている。メーデーが祝日でないのは日本とアメリカなど、ひと握りのエリートが国政を牛耳っていて、労働者を敵視するかさもなくば国民をバカにしている一部の国だけだ。

 ましてベトナムは社会主義国である(←このことをうかつにも忘れていた)。かの国では5月1日だけでなくその前後も含めてメーデーウィークのようで、取り立てて風光明媚でもなく観光地とも言えない田舎の国立公園に大挙して人々が押し寄せてきた。日本でもGWには普段の週末の何倍もの人出があったりするが、それどころか今回のクックフォンは普段の何十倍もの人出があったのではないか。

 食堂などの施設がある周辺は大勢の人と車で溢れかえり、公園の中央を走る唯一の道路は、林道程度の道なのに車がひっきりなしに通っておちおち採集していられない状態となった。道路上には蝶の轢死体がいっぱい落ちていた。

Papilio helenus ♂
Papilio helenus ♂

Appias albina ♂
Appias albina ♂
Athyma selenophora ♂
Athyma selenophora ♂

Vindula erota ♂
Vindula erota ♂
Cyrestis themire ♂
Cyrestis themire ♂

◇  ◇  ◇

 今回は天候的には思ったほど暑くなく、そのせいか曇ると低調で晴れるとワッと出る、ということを何度か繰り返した。

 滞在3日目の4月30日は前日の午後から寒気が入った影響か朝から変に涼しくて、そのまま終日曇りで気温が上がらず、雨以外ではこれまでで最低のひどく低調な一日となった。

石灰岩の急斜面を巻く小径。
石灰岩の急斜面を巻く小径。

「ピンチは最大のチャンス」である。こんな時こそ普段とは違う何かにチャレンジするべきだ。

 夕方4時、宿舎へ戻って早めに上がろかとも思ったが、同行のH君を誘って宿舎の目の前の山に登ってみることにする。標高差200m足らずだろうか。麓から小径が付いているので以前から気になってはいたが、石灰岩質の急登で、暑い時に登るとキツそうなのでこれまで躊躇していた。

山頂にたたずむ鉄塔。
山頂にたたずむ鉄塔。

 この日は涼しかったので苦もなく登れた。山頂は少しだけ平坦になっているが、木が茂っていてキャッチングポイントとしては期待できそうにない。その代わり、思いがけず高さ7-8mの鉄塔が山頂に立っていた。どうやらバードウォッチング用らしい。

 これを登ると樹冠の上に出た。鉄塔のてっぺんには屋根がついているが、老朽化して足元の床板は1枚を残して消失しており、細い鉄骨の上に足を乗せるしかない。

鉄塔を真下から見上げる。
鉄塔を真下から見上げる。
床板は1枚を残すのみ。
床板は1枚を残すのみ。

目の前の樹冠でシジミがテリを張っていた。
目の前の樹冠でシジミがテリを張っていた。

 見ると目の前の樹上でシジミがテリを張っている。目の前と言っても水平に6-7mほど距離があり、長竿を伸ばしても手前の枝が邪魔して思うように振れない。そして何よりも、長竿を振るために、つかまっている鉄骨から両手を離すと正直怖い。足を滑らせたら大変なことになる。

 でも亜熱帯林の、それも山頂の樹冠でテリを張る未知のシジミを見過ごすという選択肢はない。欲と道連れなら生来の高所恐怖症も瞬時に寛解したようで、いつの間にかシジミに夢中になって恐怖心はどこかに吹き飛んでいた(←それがアブナイんだって)。

鉄塔から望む周囲の樹冠と山々。
鉄塔から望む周囲の樹冠と山々。

 やった、入った!

 樹上でテリを張るシジミを鉄塔から長竿を伸ばして何とかネットインした。しかし、このあと伸ばした長竿を慎重に縮め、次にネットの中で暴れる小さなシジミを押さえようとしたその時に、不意に恐怖心が襲ってきた。ネットの中を見ようと下を向くと、どうしても足元から下が目に入って足が震えそうになるのだ。大物を仕留めて押さえるときに手が震えたという話はよく耳にするが、足が震えたヤツは私だけかもしれない。

 どうやらTajuriaの仲間のようだが、このグループは私自身採集経験が乏しくよくわからない。三角紙に包む時にチラッと表を見ると、コバルトブルーの輝きが一瞬私の眼(まなこ)を射抜いた。心臓に悪い色をしている。思わずクラっとして鉄塔から落ちそうだった(←大袈裟です)。Tajuriaの仲間は美麗種ぞろいでかつ珍品ぞろい。採集したシチュエーションが山頂の樹冠ということからも、さぞかし珍品に違いないと期待した。低調な一日の最後の最後に満塁ホームランをかっ飛ばしたような、そんな充実した気分だった。

 ◇  ◇  ◇

 翌日は早めの午後2時から登った。前日は午後4時過ぎですでにTajuriaがテリを張っていたので、早めに登ってしっかり採ろうという目論見だ。

 翌日の山頂は晴れていた。晴れた山頂の樹冠は、同じ午後とは思えないまったく違う景色の別世界だった。シジミなんて1つもいやしない。昨日は見なかったマカレウスタイマイやアオスジアゲハなどのGraphium、チャイロタテハやカバシタゴマダラなどの大型のタテハが、テリトリーを張ってビュンビュン飛んでいた。普段見慣れたまったり飛ぶマカレウスや、地面でおっとり吸水しているチャイロタテハとは全然別の蝶で、見紛うばかりの物凄い力強い飛翔だ。テリトリーに侵入した飛翔物体を追う様は、まさに迎撃戦闘機のスクランブル発進そのものである。それは蝶というより鳥に近いものさえ感じさせた。

 こんな場所にシジミが出てきたら、あっという間に蹴散らされること請け合いである。以前からキマルリやゼフの多くが夕方や早朝に活動するのを不思議に思っていたが、樹冠の蝶たちの様子を観察していて理由がわかった。日中は大きくて力のある蝶がテリを張っているので、ちっちゃなシジミの出る幕ではないのだ。夕方になって日が傾き、大型の蝶たちが活動を終えるの待ってシジミの乱舞が始まる。だから曇りの日はキマルリのテリタイムは早くなり、天気が良いといつまで待ってもテリが始まらない。実際にその日その場所に大型の蝶がいるかいないかの問題ではなく、進化の過程でそのような習性を獲得したのだ。

 ◇  ◇  ◇

 この後も連日鉄塔に登り、都合4日連続で登った。天気が良い時は早めに登っても意味ないことを学習したので、その日の天気と相談して登る時間を決めた。初日はおっかなびっくりの部分もあったが、足元さえ見なければ怖くないので2日目からはすぐに慣れっこになった。

 初日の鉄塔でアイノミドリシジミのように金緑色に輝くシジミを見たが採れなかった。2日目からはこれがメインターゲットとなった。山の中腹のほうから沢沿いに樹冠を猛スピードで山頂へ向かって飛んできて、鉄塔の直下の樹上をウロチョロしながら再び猛スピードで鉄塔の脇をすり抜けて反対側へと消えていく。止まらないので、ネットチャンスがあるとしたら鉄塔の脇をすり抜ける瞬間を短竿で振り抜くしかない。

 この方法で2日目にH君が見事仕留めた。ムラサキシジミの仲間なのに金緑色に輝くArhopala eumolphusだった。若いH君はすぐにコツを掴んだようで、次々に仕留めて私に場所を譲ってくれた。

 さて、数は多くて次々飛来するが、待ち構えたコースを飛ぶとは限らず、不意を突かれたりしてなかなかタイミング良く振れない。スカッ、スカッと何度も空振りするうちに、次第にくそボールに手を出したかと思えばど真ん中のストライクを見送ってしまったり、何だか貧打にあえぐ中日ドラゴンズ打線みたいになってきた。焦りが焦りを呼んで泥沼化していく自分に気づき、4打席連続三振したあたりでやめにした。H君から1♂もらってお茶を濁す。それでも頭の中を少し整理して、3日目と4日目には何とか1♂ずつ自力でゲットできた。 

 ちなみに最初に採ったTajuriaは、帰国後展翅しながら図鑑と照らして思わず苦笑してしまった。珍品ぞろいのTajuria属にあって唯一普通種で時として都会の公園などでも得られるというヤドリギシジミ T.cippus であった。でもすごく奇麗なので、とてもうれしかった。と、日記には書いておこう(←古すぎて若いもんにはわからんし)。 

Tajuria cippus ♂
Tajuria cippus ♂
Arhopala eumolphus ♂
Arhopala eumolphus ♂

[記録]2023年4月27日(木)~5月5日(金) 現地採集6.5日 総勢6名

 ベトナム・クックフォン国立公園 

マレラスマネシジャノメ 1ex ナカグロミナミイチモンジ 1♂ ヤドリギシジミ 2♂ 

ユーモルフスムラサキシジミ 3♂ ゴイシツバメシジミ 1♂(ベトナム未記録)

ユーマダラセセリ 8ex 等 140頭採集。

(つづく)