元々ヘロン島は日本からは少々行きにくい位置にある。どうしてもブリスベンを経由する必要があり、申し込んだのが遅かったせいもあり日本からブリスベン行きのフライトがあるようでないのだ。朝8時に自宅を出て韓国で2度乗り継ぎ、その晩は機中泊でヘロン島着が翌日午後2時(日本時間午後1時)。29時間の長旅である。帰りは輪をかけて悲惨で、ヘロン島をフェリーで午後2時過ぎに発ったあと、飛行機の接続が悪いためブリスベンで1泊し、韓国の釜山でさらにもう1泊して、我が家に帰り着くのは翌々日の夕方4時過ぎ。実に51時間、往復で80時間! そうまでしてヘロン島へ行きたかった。
一方、日本からケアンズへは成田や関空から直行便があり、10時間ちょっとのフライトである。かつて14・5年前に行った当時は名古屋からも直行便があった。しかし、悲しいかな今回は、ブリスベンまでの変更のきかない航空券があるのでこれで行くほかない。地理的にはケアンズをいったん大きく通り越してブリスベンまで行き、再び戻ってくる形になる。
かくして、ヘロン島並みに遥か無駄に遠いケアンズへの旅路が、突然降って湧いたように始まった。
日程 | 便名 | 出発 | 到着 | 備考 |
12月27日
|
大韓航空 KE756 |
中部国際 11:50 |
済州島 13:55 |
|
大韓航空 KE1424 |
済州島 16:55 |
ソウル 仁川 18:10 |
|
|
大韓航空 KE123 |
ソウル 仁川 19:35 |
ブリスベン 翌 6:20 |
機中泊
|
|
12月28日
|
カンタス QF2308 |
ブリスベン 8:55 |
グラッドストーン 10:10 |
|
フェリー
|
グラッドストーン 11:00 |
ヘロン島 14:00 |
ヘロン島 4泊5日滞在 |
|
1月1日
|
フェリー
|
ヘロン島 14:00 |
グラッドストーン 15:45 |
|
カンタス QF2307 |
グラッドストーン 17:50 |
ブリスベン 18:55 |
ブリスベン泊
|
|
1月2日
|
大韓航空 KE124 |
ブリスベン 8:20 |
ソウル 仁川 17:30 |
|
大韓航空 KE1407 |
ソウル 仁川 19:35 |
釜山 20:40 |
釜山泊
|
|
1月3日
|
大韓航空 KE753 |
釜山 12:45 |
中部国際 14:10 |
日程 | 便名 | 出発 | 到着 | 備考 |
12月27日
|
大韓航空 KE756 |
中部国際 11:50 |
済州島 13:55 |
|
大韓航空 KE1424 |
済州島 16:55 |
ソウル 仁川 18:10 |
|
|
大韓航空 KE123 |
ソウル 仁川 19:35 |
ブリスベン 翌 6:20 |
機中泊
|
|
12月28日
|
カンタス QF782 |
ブリスベン 9:50 |
ケアンズ 12:10 |
ケアンズ 4泊5日滞在 |
1月1日
|
カンタス QF655 |
ケアンズ 17:10 |
ブリスベン 19:20 |
ブリスベン泊
|
1月2日
|
大韓航空 KE124 |
ブリスベン 8:20 |
ソウル 仁川 17:30 |
|
大韓航空 KE1407 |
ソウル 仁川 19:35 |
釜山 20:40 |
釜山泊
|
|
1月3日
|
大韓航空 KE753 |
釜山 12:45 |
中部国際 14:10 |
こうして、飛行機を4本乗り継いでやっと着いたケアンズの空港。ここでいきなり英語でつまずく。「地球の歩き方」によれば、バスのチケットを買う時にホテルの名前を言うとホテルに横付けしてくれるとのことだったので、これに従ってホテル名を告げた。
「イン・ケアンズ」
ところがどうしたことか、たったこれだけの超シンプルな英語が何度言っても通じない。ホテル名であることを認識していないのではと思い、「イン・ケアンズ・ホテル」と言い直してみても同じだった。これ以上言いようもないので、何度も何度も何度も繰り返してやっと通じた。
“Oh, Inn Cairns!”
だからさっきからそう言ってるだろう、と内心思ったが、どうやら “Cairns” の発音が片仮名表記の「ケアンズ」とはかなり違っているらしいことには後から気付いた。スペルを見ると、なるほど日本人の苦手な “R” がちゃかり入っている。むしろ「キャルンズ」か「ケルンズ」のほうが近いように思った。
のっけから前途多難である。だが、実際こんな程度はまだ序の口。これまで英会話はまるでダメと言いつつも、マレーシアでは単語を並べるだけの「片言以下英語」でも何とかしのいできたが、オーストラリアではこれがどうも通用しない。相手の英語が聞き取れないのは慣れっこだが、こちらの英語が通じないのにはまいった。
ケアンズ到着直後は、長旅の疲れと前夜の機中泊による睡眠不足で少しゆっくりしたいところだが、そうもしていられないのが今回の旅の悲しさ。出発前日のドタバタの中で旅行社に「グリーン島1泊オプショナルツアー」だけは手配してもらったが、残りの日程はノープランである。行きの機中で「地球の歩き方」を熟読した結果、ケアンズは色々なアクティビティがあるけれどやっぱり海だ、しかもせっかくケアンズなのだから絶対アウターリーフへ行きたい、という話でまとまっていた。ならば一日空いているのは明日しかないので、今日中にオプショナルツアーを申し込みに行く必要がある。
空港からホテルへ向かうバスの中から、ホテルの近くで日本語の看板のツアーデスクを見かけたと雅恵が言うので行ってみることにする。すぐにそのツアーデスクは見つかったが、しかし、はて? どこかで見たような…。看板のロゴに見覚えがある。そうだ、今回ヘロン島の宿泊の予約を入れていた、まさしくその旅行社のロゴだった。元々はインターネットで「ヘロン島」で検索していて見つけたのだが、サイトの規模が大きいうえにオーストラリア全土を扱っているのでシドニーの大きな旅行社だと思い込んでいた。出発前夜にメールを確認していて「予約センター」の住所がケアンズになっていることに気づいたが、気にもとめていなかった。
しかし、待てよ。ということは、もしかしてここにあの担当の女性がいるのだろうか? この時点でまだ半信半疑でドアを開けた。カウンターに日本人の女性スタッフがいたので尋ねる。
「こちらにK原さんはいらっしゃいますか?」
「K原です」
な、なんという偶然。今、私の目の前に座っているキュートなこの女性こそは、2日前のあの出発前日に、突然「不幸の電話」をかけてきたあの女性だった。あの時、あの電話でお互いに共有し合った切迫感。時間との戦いの中で、きっと私なんかよりもずっと彼女のほうが大変だったに違いない。そしてあの時、彼女は限られた時間のなかで、私のあれこれの要望と少しばかりのわがままを丁寧に聞き届けてテキパキと対応してくれた。もしあの時、彼女がモタモタして時間切れになってしまっていたら、最悪行き先も宿泊先も決まらないままとりあえずブリスベンに向けて飛ぶという、「死出の旅立ち」になっていたかもしれない。そう考えると、今日から始まるオーストラリア滞在を楽しみと感じられるのも、彼女のおかげだった。
こうして偶然にも感動の出会いを果たし、しばし「あの時」の話で盛り上がった後は、カチャカチャと端末を叩きながら早口で流暢な英語であちこちに電話してくれて、希望したアウターリーフ行きが全社満席という危機的な状況の中で、代わりのコーラルケイ行きのツアーを残席僅か4席のところで際どくゲットしてくれた。