なぜって、そんなの今さら明々白々だろう。
と、われわれ虫屋の多くは思う。虫屋は生き物が好きなうえに日常的に山でフィールドワークをしているので、山の現状や生態系についてある程度理解しているからだ。
虫を求めて道なき道をかき分けて山の中に入る。すると人里離れた山中で謎の石垣の跡を発見したり、人の気配のない山奥にこつ然と現る朽ち果てそうな建造物に驚かされたり…。
こんな経験を何度もしている。これらは言うまでもなく、その場所にかつて人の営みがあった証しである。
麓の集落から農作業のために毎日30分歩いて山の上の畑に通う。―― そんなのは、かつての山村の生活では当たり前だった。都会人が1時間かけて会社や工場へ通勤するのと同じことだ。
それが今や「山の上の畑」はおろか「麓の集落」さえもが、過疎化によって幻のように消えてしまった。「人里離れた山中で発見した謎の石垣の跡」は、かつてそこに存在した段々畑の痕跡だったのだ。
国土の狭いわが国で、かつて人々は山の奥深くまで生活圏を広げて農業や林業を営んだ。人間の営みは少なからず自然を改変し、野生動物たちのすみかを奪い、その個体数は減少し、生態系の頂点にいたニホンオオカミは明治年間に早くも絶滅した。
それが昭和の高度経済成長期に入るとターニングポイントを迎える。人口は都市へ都市へと流入し、山村はみるみる過疎化が進み、平成に入ったころには一部の観光地を除けば山の中からすっかり人の姿が消えうせていた。
こうなると山は野生動物たちの天下である。しかも人の次に恐ろしいオオカミはすでに存在しない。かくしてシカが爆発的に増えた。サルもイノシシも、キツネやタヌキも、特別天然記念物のカモシカさえもが増えた。もちろんクマも例外ではなかった。
山が野生動物であふれかえると、生息圏を広げようとして人里へ降りてくるものが現れる。エサの不足はこのことに拍車をかける。
ブナの実の不作は、クマが人里へ下りる直接の原因というより二次的要因である。逆にブナの実が豊作ならその年は里へ下りないかもしれないが、個体数が増えて翌年以降に下りる要因になりうる。
「エサが不足しているからクマが人里へ下りるのだから、山にブナを植林しよう!」という呼びかけをしているおバカな団体があるが、ますますクマの数が増えて人里へ下りることを助長しかねない。原因を正しく把握しないと逆効果である。
10年以上前に、このブログで「全国でクマ出没相次ぐ!」という記事を書いた。当時のマスコミは「山でクマが増えている」という基本的認識が薄かっというか、ほぼなかったと思う。仮にそう思っても叩かれそうで書けなかったかもしれない。
さすがにこの10年でマスコミの論調はかなり改善されたが、それでもいまだに「エサ不足が原因」という論調は根強い。個体数が増えたことで慢性的にエサが不足するようになったと考えれば、エサ不足は原因でなくむしろ結果である。
マスコミの認識が10年遅れているとして、一般の認識はいまだに誤解がまん延していている。そのことを如実に物語るアンケート調査がある。
(1)途中7月4日時点

(2)最終結果

インターネット上で行われた任意のアンケート調査で、調査途中の7月4日時点では上位2つが誤った答えで下位2つが正解、という目を覆いたくなるような状況だった。実はこの記事の下段にはコメント欄があって、そこには無理解な人が多いことに対するいら立ちや、正しい答えを声高に叫ぶコメントが並んでいた。調査期間の後半にはそれらのコメントを目にして投票した人が増えたせいか、最終的な結果は多少改善された。
途中経過やそれに対するコメントを公開するアンケート手法には甚だ疑問を感じるが、いずれにしても都会人の無理解ぶりの一端を垣間見た気がした。
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