
去る11月30日未明、わが家の愛猫ミミが永眠した。享年24歳。老衰のため最後は歩くこともおぼつかず、数日前からチュールも水も受け付けなくなっていた。
24年前の12月1日にわが家へやって来たので、11月30日はちょうど「うちの子」になって満24年となるその日だった。29日の午前中に危篤状態となったが一時持ち直し、日付が変わるのを待っていたかのように、最期は大好きな雅恵の膝の上で、雅恵に看取られて安心して旅立っていったと思う。
ミミは動物愛護センターの「子猫を差し上げる会」でもらわれてきた。殺処分寸前でわが家へやって来てそこから24年を生き抜いた。
来た当初はまだ毛も十分に生えそろっていないようなちっちゃな弱々しい子で、せわしなく歩き回ってミーミーと鳴いていたので「ミミ」と名付けた。本当に元気に育ってくれるだろうか。そんな心配をするほど弱々しく、しきりに鳴いて歩き回ってばかりで全然落ち着いてくれず、どうすれば良いものかほとほと困り果てた。
「情が移る前に返してこようか」
心配した私がそう仕向けると、
「もうとっくに情が移っちゃったわよ!」
雅恵に一蹴された。そんな子が、まさか24年も生きるなんて想像もできなかった。
雅恵に可愛がられて、はじめから雅恵に一番なついた。そのくせ遊んでほしい時には私を誘惑に来て、得意の「悩殺ポーズ」で私をイチコロにした。甘え上手でわがままで、臆病なくせに気が強く、意思表示が明確で何を考えているのかが手に取るように分かる猫だった。
そんなミミが、18歳を過ぎた頃から何を考えているのか分からないことが増えた。初めは認知症を疑ったが、むしろ高齢化による幼児退行と思うと合点がいった。きっとミミ自身も何をしてほしいのか分からないまま単にぐずっている。そんな場面が次第に多くなった。耳が遠くなったのかむやみ大きな声で鳴き、夜鳴きがひどくなって夜中に何度も起こされた。
老化の進行により、世話をする雅恵の負担は限度を超えるほどになった。それでも雅恵は甲斐甲斐しく四六時中ミミの世話をし続けた。そばにいられない時のために動物用監視カメラを部屋に設置して、いつもミミの様子を気にしていた。晩年には粗相がひどくなり、ついにはトイレを使わなくなって仕方なく部屋中に尿取りシートを敷き詰めた。
2年前には脳梗塞のような症状が出た。全身が硬直して顔が引きつり、片方の目は瞳孔が開いていた。ついに訪れた別れの時と覚悟を決めたが、しばらくすると奇跡的に回復して何事もなかったかのように部屋の中を歩いた。動物病院の先生に話すと血液がサラサラになるサプリを出してくださり、その効果かその後しばらくは前より元気になったような気がした。
ミミよりも、同居していた私の母が先に逝った。昨春、当時89歳の母が体調不良を訴えたが、かかりつけ医にどこも悪くないと言われ、でも本人は相変わらず不調を訴え、家族は困りあぐねていた。
そんなある晩、普段は2階にいるミミが、足が弱って半年前から階段を降りられなくなっていたはずのミミが、なぜか1階の母の部屋の前でドアに向かって鳴いていた。数日後に母をかかりつけ医に再度連れていって帰ってくると、今度は1階の玄関のそばで待っていた。
翌朝、やっと書いてもらった紹介状を持って母を総合病院へ連れて行ったところ、まさかの末期癌が判明した。母は二度と家へ帰ることはなかった。ミミも二度と階段を降りることはなかった。家族もかかりつけ医も気づかぬ母の大病にミミだけが気づいて、母を案じて弱った足で階段を降りたのだろう。きっとそうに違いない。そうとしか思えなかった。
それから1年。母の一周忌を前にミミが体調を崩した。一時餌も水も一切受け付けなくなり、母が迎えに来たかと心配したが、またしても奇跡的に持ち直した。
それから半年。心配していた夏を乗り越え秋が深まるころ、寒くなるにつれていよいよ食が細くなり、2日ほど前から水も飲まなくなっていた。半年前の時にはシリンジで水を飲ませていた雅恵が、今度はしようとしなかった。なぜしないのか尋ねると、
「すごく嫌がるから、ミミの嫌がることはもうやめようと思って…」
その言葉に、雅恵の覚悟を知って涙が溢れそうになった。もう頑張らなくていいよ、ミミ。心の中でそうつぶやいた。
本当に長い間ありがとう、ミミ。いつか虹の橋のたもとで再び出会うその日まで。合掌。

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